高度成長の頃、企業にとって新規の事業チャンスが至る所に転がっていた。だから新しい事業構想を見つけ、提案することが望ましかった。現在の行政は、旧態依然としてこのスタイルを踏襲しているようだ。
1977年4月、通産省に2年間派遣されたとき、いきなり「新政策を考えてほしい」といわれた。少しでも多くの予算を獲得するために、新しい政策アイデアを出し、それに肉付けして、年末にかけて当時の大蔵省(現在の財務省)と予算の交渉するのである。これもまた、高度成長期の名残りだった。予算規模が膨張するから、通産省としての予算シェアを維持し、拡大するために、新しい政策を打ち出すことになってしまう。
では、現在はどうか。企業は事業の選択と集中を志向している。もちろん新しい事業に乗り出すこともあるが、「何でもかんでも」主義は捨てている。むしろ、既存の事業の改善と、それによる収益性の確保が重要となってきている。
行政の場合も、予算規模は拡大していない。その限られた予算の中で、何を国民のために行うのか、選択と集中が求められている。未来の社会の構図を描き、その構図を達成するための具体的な政策を実施し、根気よく続けることが必要だ。やたらと新しい政策を打ち出すことは、政策のばらまきでしかない。
定額給付、高速道路料金の引き下げ、はたまた21日の夕刊の記事となった新たな休日制度の導入等、未来の社会に対して、それぞれ何の意味を込めているのだろうか。一方で、たとえば違法駐停車の取り締まり強化はどうなったのか。首都機能の地方分散はどこまで進んだのか。古くて新しい課題、国民に対するIDの付与構想は進んでいるのか。
新しい政策の多くは、「行政が努力している」アリバイ作りでしかない。新しい政策を前面に出してしまうと、何年か前の政策と辻褄が合わなくなることも多い。最近の教育行政でのその事例は「ゆとり教育」からの転換であり、法科大学院の人員削減だろう。林業では、林野庁の事業縮小と、環境林への期待の高まりだろう。
2009/04/22