川北英隆のブログ

金融商品の時価会計

2008年9月のリーマンショックをきっかけに、時価会計の見直しが進んでいる。正確には公正価値(fair value)体系の手直しである。
会計とは、市場価格が客観的な価格であり、それを原則として用い、企業業績を評価しようとの会計の方法である。市場価格がない場合、市場価格から得られるパラメータ(たとえば金利水準)を用いて客観的な価格を導き出すことも、公正価値の体系を形成してきた。
この公正価値の体系には大前提がある。市場価格が客観的な価格であるためには、市場が効率的でなければならないのである。すなわち、市場参加者には質、量ともに十分な情報が与えられ、市場参加者はその豊富な情報を駆使して客観的に金融商品の価格を評価し、摩擦なく金融商品を売買できなければならない。現実には、サブプライム問題に見られたように、必ずしも市場は効率的でない。そうであるなら、市場価格イコール公正価値だとは言い切れない。
以上は欧米の会計基準を巡る新たな流れである。日本もまた、この流れを受けて、時価会計に対する懐疑論が台頭している。銀行をはじめ、日本の上場企業が大量の株式を保有していることも、時価会計に対する懐疑論を後押ししている。しかし、この懐疑論にはさまざまな要素が混在している。問題の所在を明らかにし、議論しなければ、かえって混乱をきたすだけである。とりあえず、次のような整理を行ってみたい。
第一に、かつてのような簿価会計すなわち取得価格によって金融商品の価値を評価し、それに基づいて得られた情報を市場参加者の提供するのは、情報の質の観点からすれば不十分である。言い換えれば、公正価値の体系から完全に離脱するとの選択肢はありえない。
第二に、公正価値の体系を維持することが求められるものの、一方で「市場価格イコール公正価値だとは言い切れない」との事実を認めるのは当然である。
第三に、そうはいっても、市場価格もしくは市場価格から得られるパラメータ以外に、客観的な評価のために用いることのできる数値基準は多くない。このため、公正価値の体系を見直すにしても、市場価格を基準として、それをいかにアレンジするかの選択しかありえない。
第四に、「保有株式を時価評価し、それを損益計算に用いれば、株価の変動によって業績が大きく変動し、投資家に誤った情報を伝えることになる」、「だから、保有株式の時価の変動を損益計算に反映させることには反対である」との議論は、本末転倒である。株価の変動が業績を大きく変動させるのであれば、株式保有を極力減らすべきである。銀行が取引先企業の株式を保有することが望ましいのか、むしろ銀行の株式保有を禁止すべきではないのか。金融システムの安定性を高めるのであれば、銀行をはじめとする上場企業の株式保有の是非を議論すべきである。
第五に、上場企業が大量の株式を保有することが望ましくないとしても、現時点のような株価が不安定な時に、望ましい方向への改革を一気に進めれば市場が混乱するだけである。当然、株式保有の見直しを図るには猶予期間が必要である。
第六に、金融システムの安定性に関して、プロシクリカル性(pro-cyclical)の議論がある。時価会計を例にとれば、景気が良くなり、株価が上昇すれば、株式を保有している企業の業績が向上し、企業が強気になり、株価がさらに上がるという循環である。景気が悪くなり、株価が下落すれば、逆の循環が生じる。つまり、景気の波が自然と増幅されるのである。だから、時価会計を再考すべきだとの議論になる。もっとも、プロシクリカル性を予防することが望ましいとしても、それが会計の役割だと即断すべきではない。金融制度等の社会的ルールの役割かもしれないからである。

2009/04/04


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