投資ファンドのコンセプトとして、エコロジー(環境)をはじめとするCSR(企業としての社会的な責任)に注目することが異質なはずはない。そう考えるのだが、社会の反応は異なる。何故そうなのか。
理由は明らかでない。昨日書いたように、エコファンド等の出自が正しくないのか。そうだとするのなら、社会的な差別ではないのか。何て、そこまで主張するつもりはないが、偏見であることは確かである。
偏見のある理由は不明確だが、逆に、CSRが企業価値の観点から正しいという理由は複数ある。最大の理由は、そういう企業が生き残るはずだし、そういう企業が生き延びないとするのなら、社会の未来が絶望だというものである。
CSRに企業としての生死をかけないまでも、CSRを重視すれば社会的に高く評価されるはずだ。社会として望ましい企業が評価されないとすれば、社会としての未来が否定されることを意味する。少なくとも、マクロ的な社会の目的(望ましい社会)と、短期的な目的(利益至上主義)とが激しく対立するだろう。
短期的な利益を追求する投資家が大多数を占めるのが日本の市場である。それだけに日本の証券市場はいびつである。市場が短期一色にぬりつぶされるのなら、明るい未来はない。言い換えれば、波の随に漂うだけの浮草にすぎない。
年金ファンドに注意喚起したいのは、しっかりとした投資コンセプトを確立することである。投資理論は手段でしかないから、特定の理論にとことん依拠したところで、最終的なメリットはない。より重要なものが何なのか、それを想定したうえで、投資理論よりも上位のコンセプトを議論することが望まれる。いわゆる投資哲学の必要性である。それがないから、年金ファンドに対する批判が絶えないのである。
2009/05/23