日本経済新聞「私の履歴書」の2009年4月は近藤道生さんだった。久しぶりに興味深かった。いきなり第二次世界大戦で始まったときには、どう進展するのか心配というか疑問もあったが、最後は大いに納得した。
読んでいくうちに、近藤道生さんと私の父とがほぼ同世代だとわかった。父の言葉を借りると「青春は戦争によって失われた」のである。逆に言えば、戦争が青春のすべてだったのだろう。上司に睨まれた結果、近藤道生さんはマレー半島に駆り出され、父はインパール作戦に駆り出された。九死に一生を得て日本に帰ることができたものの、その後も悩み続けた。
父の若い頃、家にはビルマで一緒だった仲間が集まっては飲み、戦争の話を延々としていた。日本に余裕ができた後は、戦死した仲間を弔うためにビルマに何回もでかけた。10年前、最後のビルマ訪問には私が駆り出され、慰霊のためにマンダレー近郊に建立したパゴダを訪問し、そのパゴダを祭っていただいている尼僧に運良く会うこともできた。訪問を終えてラングーン空港を飛び立つ時、父はこれが最後の訪問だと思ったのだろう、じっとイラワジ川沿いの平原を見つめていた。その目と、その先の大地の風景とが、今でも鮮明に思い出される。
そのさらに10年前、当時の壷坂寺の住職の尽力で、父はインドのコヒマとインパールを訪問したのだが、その時に私は同行しなかったが、それが今となっては残念である。というのも、これらのビルマとの国境地域は現在でも(というか、民族紛争が激化している現在はなお)旅行が難しい。
近藤道生さんの履歴書の大部分は戦争のことであり、大蔵省と博報堂のことは付け足しでしかなかった。それぞれで大きな仕事をした人にして、この程度の扱いである。そもそも、「私の履歴書」にありがちな自慢を良しとしない人柄も手伝っているのだろうが。
それはともかく、我々、戦争を直接体験していない世代にとっては、戦争の体験が人生のほとんどを占めることを理解できないかもしれない。しかし、その戦争体験が真実だと思える。たとえば、当時の戦場に駆り出された者にとって、サブプライムローン以降の世界経済の危機は生死に直接関係しないのだから、大騒ぎする問題ではない。ましてや、この数日の新型インフルエンザの大騒ぎはお笑いに近いだろう。
2009/05/02