ついでに、吉村光威さんの思い出、パート2である。書いておかないと、加齢とともに記憶が薄れるから。最初の出会いは日経225先物をシンガポールに上場するとの記事をヒアリングしたことだった。
日本の金融証券市場の自由化が急速に進展し、先物、オプション取引も花開こうとしていた。当時の仕事がら、どのような市場ができるのか、それに対して投資家としてどのような対応をすべきか、分析していた。日本の株式を対象とした先物取引がシンガポールで最初に始まるというので、伝手を頼ってヒアリングした相手が吉村さんだった。印象は、すごい商売人というものだった。
そのヒアリングの縁で、日経新聞社主催の先物研究会に参加させてもらった。これも故人の大阪大学の蝋山昌一先生が座長だった。最後に伊豆半島の修善寺近くで合宿した。アメリカ市場がブラックマンデーで急落した直後だっただけに、現物市場と先物市場の関係も研究テーマになっていた。
吉村が山口大学に移られ、そこを会場としてディスクロージャー研究学会の第一回大会が開催された。その時、初めて山口に出向いたものだ。湯田温泉で懇親会があったことを覚えている。
そんな、こんな、さまざまなことが記憶から蘇る。多分、彼岸ではますます豪快にやってられるのだろう。
2009/06/19