川北英隆のブログ

負債の評価益の意味

多額の負債を抱えた企業が倒産寸前になれば、大儲けする。そんな会計原則が静かな話題となっている。この議論は、会計士の役割の行きつく果てが何かを巡るものでもある。
企業が社債を発行していたとする。その企業が倒産間際になれば、市場で取引される社債価格が急落する。その市場価格で発行企業の社債の残高、すなわち負債価値を計測することができると、アメリカの会計基準がうたっている。事実、リーマンショックによって社債価格が急落した結果、負債価値の価値を見直し、評価益を計上した企業が登場した。
この常識外れの措置は「負債の時価評価に関するパラドックス」として認識されている。このパラドックスの本質はパラドックスではなく、時価会計が首尾一貫していないからにすぎない。この点は、川北英隆(2003)「会計的な企業評価とファイナンスの関係」 「CGSAフォーラム 第1号」(中央大学)で論じたところである。
倒産寸前の企業を考えてみよう。事業がうまくいかず、赤字決算が続いているとする。その最大の原因は事業資産が利益を生み出さず、むしろ損失を発生しているからである。言い換えれば、事業資産の価値が毀損している。だから赤字を埋め合わせるために新たな負債を調達し、利払いに追われるという悪循環が生じてしまう。この状態になれば、株価が値下がりし、貸借対照表上の資本の市場価値、すなわち株式の時価総額も大きく減少しているだろう。貸借対照表全体を眺めれば、左側の資産価値が減少し、右側の負債価値と資本価値も両方とも減少している。言い換えれば、その企業に新たな利益が生じている事実はどこにもないはずだ。
それにもかかわらず、負債に評価益が生じ、企業全体として利益が発生しているかに見えるのは、資本の価値の減少を会計的に認識しないからにすぎない。資本の価値の減少を会計的に認識しないのは、市場での株式の取引価格を会計上の認識に取り入れていなという人為のせいである。証券市場で取引されている社債価格を会計的に認識し、一方で同じく証券市場で取引されている株式価格を会計的に認識しないからである。社債と株式を差別して取り扱う理由がどこにあるのだろうか。
以上のパラドックスを除去するには、二つの方法がある。一つは、株式の時価を認識することである。もう一つは、株式はもちろん社債も時価を認識しないことである。
ところで、これまでの会計は時価評価の範囲を徐々に拡大してきた。この時価会計の流れからすれば、社債の時価を認識しないのは大きな後退である。一方、株式の時価を認識すれば、企業が将来稼ぐであろう利益を現時点で認識することで、事業資産の価値を時価評価しなければならない。そうでなければ、貸借がバランスしないからである。つまり、時価会計の流れの究極の姿は、事業資産や株式を含めたすべての資産、負債、資本の時価評価である。そして、事業資産を時価評価することは「企業価値の評価」にほかならず、証券アナリストが日常的に行っている仕事と同じである。
とはいえ、負債、資本の時価評価額の大部分は市場価格で決まってしまうから、会計担当者がやるべき仕事は、その時価を個々の事業資産ごとに振り分ける作業でしかないかもしれない。負債、資本の時価評価は証券アナリストの判断に大きく依存するだろうから、会計担当者は証券アナリストの判断に追随するだけの存在になりかねない。

2009/06/02


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