川北英隆のブログ

国後島の返還

知床の稜線に登れば国後島が手に取るように見える。学生時代、国後島を見ながら知床の稜線を縦走し、早く返還されることを望んだが、それから40年近くが経過した。リンジャニ山で賀来さんと話したとき、「返還されない方がいい」との意見が出された。
返還されると、日本人の性癖として、自然豊かな島が普通の島になってしまうからだという。確かにそうである。拙著『財政ビッグバン』(東洋経済社、1997)でも書いたが、40年前の学生時代に国内旅行で感じたさまざまな地方の文化が、今では余程努力しないと発見できない。個人的に残念である以上に、国民的な財産の消失だと思う。
ニュースで、日本の地方空港が97箇所あると伝えていた。最近、静岡でも空港ができた。何故必要なのか、理由がよくわからない。飛行場がないのは地方の恥だと思うのだろう。ダムと同様、予算の執行先を役人が苦肉の策で見繕っているのかもしれない。新幹線も高速道路も通さないといけないし、立派な県庁ビルも建てないといけない。一方で、古い日本の建物と町並みがブームである。どうなっているのかと思う。
思い出したのは、京都市が中心部の建物の高さ規制を厳しくしたことである。今更遅い。30年前頃にやっておけば、京都の中心部のほとんどがプラハと同様、世界文化遺産になっていたかもしれない。当時、高い建物を競って立てさせたのが行政である。市役所横の巨大なホテル、京都タワー、京都駅の異様な壁等、当時の行政のシンボルが残っているし、2050年頃まで残るのだろう。
そもそも発想が貧困である。政策が貧困であり、建物や空港やダムなどではない、無形の財産や文化では政治的な意味がないらしい。ましてや自然には政治的意味がないのだろう。しかし、自然の多くは完全な自然ではなく、人の手が入っている。自然に人の手を投入する政策が求められるのではないか。たとえば森林の下草を刈り、落ち葉を集め、希少植物の盗掘を監視する政策である。
このことに関して、明日にでも続きを書いてみたい。

2009/09/27


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