15年ほど前、ニッセイ基礎研究所で森林問題を調査しているときに考えたことがある。成人すれば一度は森林の作業に携わる制度の導入である。「徴林制」と呼んでおこう。この制度によって、エコが日本社会の共通の思想となり、またそれを実体験できる。
当時のインテリの同僚が「ええっー」と反対したのであまり強く打ち出さなかったが、今から考えると先駆的な提案のチャンスを逃して惜しかったと思える。ニッセイ基礎研究所の調査月報に多少は書いてみたが。
日本という国に不足しているのは宗教や政治信念等の共通の精神的な柱もしくは拠所だと、今日、議論してきたところである。森林作業を通じた環境意識が国民の精神的な柱になり、かつ環境への貢献を、男女を問わず国民の全員が実体験できるとすれば、世界に日本の先進性をアピールできるに違いない。徴兵制と異なり、平和でもある。
アジア人を見て、中国人か韓国人か日本人かを見分ける場合、姿勢が悪ければ日本人と思っていいと、リンジャニ山への同行者が言っていた。そうかもしれない。そういう私自身、姿勢が悪いので大きなことは言えないが、徴林制が日本人の姿勢の悪さを直すかもしれない。
さらに言えば、徴林制の導入はともかくとして、国有林野事業の存続と拡大を図ることが望ましいと考えられる。これまで、国有林野事業は赤字続きだからという理由で縮小の一途をたどってきた。しかし、森林に二酸化炭素の吸収能力を認めるのであれば、その経済効果を加算することで、国有林野事業の赤字が縮小するはずである。また、森林は二酸化炭素だけでなく、緑のダムと呼ばれているように、治水や水源保持に役に立つ。ダムを造るだけが能ではないだろう。ダムに注ぎ込む資金を減らし、森林に注ぎ込んでいいはずであるから、国有林野事業の多少の赤字は容認できる。
もちろん、杉や桧を植林するだけが国有林野事業ではなく、広葉樹林を維持することも立派な林野事業であることを確認しておきたい。盗伐、盗掘、ゴミの違法投棄などを監視することも重要になるだろう。このような国有林野事業には、徴林制だけでなく、中高年パワーも活用できる。ボランティアとして活動したい人も多数いるだろう。
政権が変わった現在、発想を新たにして、将来の日本の豊かさと、そのための方法を考えたいものである。
2009/09/29