今日の日経の経済教室だったと思うが、円高を意識した金融政策が必要だと論じられていた。金融政策論議はともかくとして、円高を強く意識する必要性があるのだろうか。
何年間も言い続けているので持論になってしまったが、円高は夢でしかないと思う。夢でなければ杞憂である。
円高になれば、海外旅行した場合に大金持ちの気分に浸れるから、嬉しいかぎりである。リーマンショック以前の円安時には、海外旅行でのビールの値段が高くて「がっくり」してしまっていた。別の表現を用いれば、「円高は望ましくない」と考えているわけではない。まず、このことを明らかにしておきたい。そうでないと、「売国奴」と呼ばれかねないからだ。
次に述べるように、円高にならないと考える理由はいくつかある。とはいえ、一口で言えば、日本に経済的な魅力度(国としての魅力度ではない)が乏しくなったから、円高にはならないと考えている。
まず、経済成長力が高くない。だから投資資金が流入しないし、逆に資金の流出が生じかねない。もっとも、日本には「愛国者」が多いから、いまだに資金流出は大きくないが。
次に、老齢化は日本の貯蓄率を低下させる。日本の資金が不足することになり、結果として資金が流出する。もっとも、この点に関して、経済成長率が低いから、消費や設備投資に多額の資金が不要となる可能性もある。物の供給(生産)と需要のどちらが相対的に小さくなるのか。老齢化や人口の減少と、生産もしくは需要の弾性値を計測する必要があるだろう。
第三に、円高が進んだ場合、企業が生産の拠点を海外に急速に移す可能性である。日本国内での生産コストが高いから、世界的な競争にうち勝つのに日本企業は四苦八苦している。日本企業しか生産できない製品やサービスが少なくなってきたのも、四苦八苦している理由の一つである。90年代以降に目立つ製造業での売上高当たり付加価値率の低下が、日本国内での生産の限界を示しているようだ。このことは、実体面において、円高に限界があることを意味している。円高が進めば、日本企業の海外脱出が加速化し、資金の海外流出が増加、輸出が減少するだろう。
最後に注意点である。海外通貨はアメリカドルだけではない。どの通貨に対して円高なのか、円安なのかを考えなければならない。円高にならないのは「世界全体に対して」である。このことだけを断っておきたい。
2009/10/12