思い出したのがシマナガシという名の猫のことである。どのパソコンだったか忘れたが、最近使わなくなったののスクリーンセーバーにシマナガシの写真を利用していた。
「シマナガシという名の猫」なんて書くと、シマナガシが怒ってあの世から戻ってくるかもしれない。といっても、いつも「シマ、シマ」と呼んでいたから、そんなに怒らないかな。
それで、何故シマナガシかということを(今年中は写真をアップする気がないので)説明しなければならない。この猫は、背中から頭にかけてはキジトラ模様で、胸から腹や脚は白地の猫なのだが、右の前脚、人間でいうと上腕部の白地の中にキジトラ模様がくっきりとあって、こげ茶と薄茶が縞模様を描いていた。家内が「島流しにあったようや」、「シマナガシやなあ」とつぶやいたのが、そもそもの謂われである。
シマナガシは野良猫で、わが家が国分寺にあった頃、周辺を縄張りとしていたボス猫である。ニャンと鳴けば餌がもらえるので、野良猫にとってわが家は良質な縄張りだったと思う。以前のボス猫が姿を消した後、突如として登場した若手だった。最後まで撫でさせなかったが、徐々に油断するようになり、時たま触ることはできた。その時には跳び上がったが。
交通事故か、喧嘩かは不明だが、前脚を大けがしたことがあった。家内が抗生物質を餌に混ぜて与えたので、脚は回復した。とは言うものの、やはり以前の若手も年齢に達したのか、それからしばらくして姿を消した。
野良猫の一生は短くて、というわけだ。飼い猫に生まれたならば、前脚のキズ、すなわち模様はともかく、凛々しい猫(それってどんな猫)になっただろうに。今でもそう思う。
2009/12/18