今日(4/27)の疑問の表題は「東京市場国際化の功罪」である。前回(4/7)の疑問の筆者名は忘れてしまった。今回は忘れないよう、「猪突」だとしっかり記しておこう。
前回の大機小機への疑問の趣旨は単純明瞭だったので、忘れようがどうしようが大した問題ではなかっただろう。
それに対し、今回の疑問の著者はかなりの確信犯である。要するに、西洋の物真似をして市場を国際化したのは愚策だったという。その結果は、海外投資家によって日本の株価が完全に左右されているという。裏から見ると、本当の日本企業の値打ちは高いというわけだし、もしも日本独自の文化に配慮した制度を作っていたのなら、もっともっと日本企業は元気で株価も高かったに違いないという思いが込められている。
しかし、この思いは本当だろうか。
最初に、証券市場の様相と株価が企業の活力を決めるわけではないことに留意する必要がある。企業さえしっかりしていれば、株価は後から従うものであるから、市場の制度がどうあろうとも、高い価格が形成されるはずだ。筆者は政策がすべてを決めるとの信念を持っているのだろうが、それは政策頼みの権化だとしか思えない。もちろん政策も重要だが、政策が気に入らないのなら、現在の企業の選択肢として日本から脱出することだってあるわけだ。企業とすれば、自主的に行動すればいいだけではないか。
思うに、多くの日本企業に欠けていたのは海を渡る勇気である。江戸末期から明治の初めにかけての向上心はどこに行ったのだろう。いつ、万事政策頼みになったのだろう。
それに、政策的に国際化を図ろうが図るまいが(そもそもいつ、政府や東証が本格的な市場の国際化を積極的に推進したのかさえ、よくわからない)、これだけ経済活動が国際化しているのだから、日本市場だけが埒外なんてありえない話だ。
ということで、理解不能の「信念の塊」に基づくコラムだった。
2010/04/27