近未来の日本の産業構造を考えた場合、教育と就業の方向性について、現在の教育が多くの問題を抱えていることは明らかだろう。均一を目指すことが間違っている。
これまでの文系の学生が目標としてきた「大企業のサラリーマンになる」ことが間違っている。これまでの大企業のサラリーマンほど、均一なものはない。もちろん、大企業のサラリーマンが活躍する場があることは確かだ。とはいっても、大企業にも、大量の、それも今までのような質の学生を新たに受け入れる余地はない。
考えてみれば、これまで大企業のサラリーマンとなった文系の学生の多くは営業を行ってきた。国内が主たる営業の対象であったから大活躍できたのであり、企業の発展を支えてきたのである。
では、今後はどうなのか。大企業の場合、国内での営業の余地は限定的である。海外での営業の機会が増える。そのような状況で、現在の学生に活躍できる素地があるのだろうか。多分、これまでの営業をはるかに超えた能力が求められるだろう。言い換えれば、平凡な、平均的能力を有した人材では限界がすぐに見える。
つまり、平凡な営業職のサラリーマンは必要ない。そうだから、平凡な学生を育てるための教育も時代遅れである。大学というか大学院と言うか、高等教育は文字通り「高等教育」を行わなければならない。高校の延長のような「手取り足取り教える」教育では世界に通用しないのである。
学生の側からすると、文字通りの「高等教育」を身に付けるか、そうでなければ誰もがやらないような技能や労働やサービスを提供する職業を選択するのが賢い方法である。職人になってもいいし、老人介護を職業としてもいい。特色ある個人店舗の店主となってもいい。最悪は、何回も言うが、親の言いつけをよく守り、平凡なサラリーマンを目指すことだと思う。
2010/05/06