国際会計基準が日本にも浸透し、包括利益なる利益概念が新たに登場することになった。投資家にとってややこしいのは、どの利益概念が一番重要なのかだ。
今となっては昨日(10/8)、参加した勉強会でも、国際会計基準に関する質問が出た。勉強会は、投資家から見た企業価値に関するものであり、その勉強会に知る人ぞ知るアセットマネジメント会社のトップの某氏に登場してもらった。某氏は、名前が流布されるのをあまり好まないので、とりあえず某氏ということにしておく。
で、国際会計基準が企業価値評価に与える影響について、某氏は基本的に「関係ない」と言い切っていた。まあ、それが簡潔にして要を得た答えだろう。
もちろん、収益の認識に関するルールが変化するとか、保有資産の評価がますます時価基準になるとか、言い出せばきりのない変化が生じる。とはいえ、企業にとって最も重要なのは営業利益であり、この点において従前と何の変化もない。
ついでに言えば、某氏が指摘した人件費も重要な要素である。つまり、どれだけの経済的、社会的付加価値を企業が生み出しているのか、これが一番重要である。今までの会計基準は人件費を把握してきたし、公表してきた。GDP統計でも、当然だが、人件費(雇用者所得)が重要な構成要素になっている。
付言しておくと、国際会計基準は人件費の開示に関して無関心を装い、その公表に言及していない(少なくとも日本で検討されている段階では言及がない)。この現実は、会計の退化としか思えない。このように書くのも、本日の某氏の発言に「日本企業は人件費の公表を好まない」とあったからだ。
思うに、日本社会の風潮は、ルールで定められているものには忠実に対応しているものの、ルールにないものには冷淡であるし、「そこまで公表してどうする」と無視している。ルールは最低限の基準でしかないし、誰でも工夫なしに守れる。
これに対し、ルールに何を上乗せするのかが企業の創意工夫であり、企業が企業たる所以だと思うのだが。要するに、日本は一律の仕草を重んじるようになり、没個性に陥っている。これでは、広義の意味での開示や、開示に基づく株価形成に独自性すなわち魅力は生まれてこない。営業利益の重要性に何の変化もないのだが、その利益を創造するためのプロセスの見せ方は、いかようにでも変化していいのではないだろうか。
2010/10/09