中国の「反政府」活動家にノーベル平和賞が贈られるという。それに対して中国政府は事前、事後ともに反発している。このニュースに接し、生物多様性との関係に思い至った。
価値観は多様であっていいと思う。最低限のルールは守ってもらわないと困るが、傍若無人でなければ、多様な価値観の人間が社会で混じり合うことで丈夫な社会ができるだろう。
これは生物多様性と同じである。いろんな遺伝子があれば、地球環境が丈夫になる。環境が変化したときにも、新しい環境に適応した生物が容易に出現するだろう。
この点、中国の政府としては、表面的には一様に近い価値観を目指しているのだろう。だから言論に対する統制がある。グーグルも中国から排除される。では、中国の社会は脆弱なのだろうか。
この中国の目指す一様性は、実際のところ一様ではない。一様でないから「反政府」的な活動が行われ、法律上、犯罪として扱われる。面白い国だ。
一方、日本はといえば、一様を目指していないにもかかわらず、きわめて一様な社会である。かつて盛んだった学生運動や労働組合のストはどこに消えてしまったのだろう。政府がぼんやりしていても、誰も声を荒立てて行動しない。就職活動が始まると、カラスのような服に身を包んだ学生が街を徘徊する。もっと多様な格好で歩いてほしいものだ。
中国に、日本の一様な社会を勉強してもらったらどうだろうか。もっとも、中国がこのような日本を勉強しようとしないのは、実のところ、本当に一様な社会を作ってしまったら、何か経済環境の大変化が起こった場合、国が大混乱しかねないと悟っているのかも知れない。
案外、言論をある程度統制して民間の反発を誘うことで、国の底辺での多様性を維持するという深謀だったりして。
2010/10/11