昨日の早朝、東京からの帰りしな、滋賀県に入って何かが変だと思った。よく晴れた空の下、車窓の風景に何か不都合がある。
秋、それも10月中旬だというのに田圃が青々している。稲刈りが終わっていなければ稲穂が黄金色に輝いているはずだし、刈り終わっていれば稲の切り株と田の土が焦げ茶色の風景を作っているはずだ。子供の頃に見慣れた風景である。それなのに、切り株からヒコバエが勢い良く伸び、青々している。新たに田植えをしたかのようだ。
子供の頃もヒコバエはあった。でも、青々するほどではなかった。昨日の車窓の風景からすると、本格的な冬が到来する前に稲の花が咲き、ひょっとしたら鳥が喜ぶ程度に米が実るかもと思える。田植えを早くし、稲刈りをもっと早く済ませれば、2回収穫できないのか。小学生の頃、高知では二期作が可能だと習ったことを思い出した。
そのうち、高知や宮崎ではいつでも米を作れるようになるかもしれない。田植えが春で、稲刈りが秋なんて風物詩がなくなり、ベトナムで見た光景のように、田植えをしている隣で稲穂が実り、稲刈りの準備をする不思議な世界が広がるのだろうか。まあそうすれば高い機械の効率性が上昇するのだが。
東京への行きも帰りもよく寝ているので、富士山を久しく見ていない。ぼちぼち雪が積もり始めているだろうか。その富士山の南斜面から永久凍土が消えたと、ネットのニュースで読んだ。イネ科の植物が上部にまで生えるようになっているとも書いてあった。100年後の富士山の夏の姿は緑で包まれて青々している、そう想像してみた。
2010/10/17