川北英隆のブログ

総理大臣になった係長

日本の政治が混乱して久しい。社会が慢性疲労的になっている。思うに、日本の将来の姿が見えないからであり、政治家が国の姿を描かないし、描けないからである。近年、係長が総理大臣になる事態が続いているからだろう。
総理大臣の任務は国の将来像すなわちビジョンを描き、それに向かって合目的的に政策を組み立てることである。現実は、子ども手当、税制、経済対策、道路行政、環境政策、外交など、ばらばらであり、何も組み立てられていない。むしろ、壊れていっているのかもしれない。
総理にビジョンがないから、各大臣や省庁は好き勝手を言い、行動してしまう。これは何も民主党政権に限らない。高度成長が終わった後の自民党政権もおおよそのところ似たり寄ったりだった。要するに、総理大臣も、他の大臣も係長レベルでしかなく、細部にしか目が向いていない。良く言えば部分的に一生懸命なのかもしれないが(本当のところは金銭と名誉にだけ一生懸命かな)、みんながそうだから、閣僚全員を寄せ集めてみると矛盾だらけになってしまう。
高速道路の無料化と環境政策の矛盾は最初から指摘されていた。子ども手当を含め、財源が大問題だということも最初からわかっていたし、税制全体をどうするのか、そこから思考をスタートさせる必要があった。事業仕分けで林野行政が俎上に載ったが、環境問題からの議論はあまりなかったように思う。農業問題は高齢化、人口減少問題と一緒に考える必要がある。教育問題は将来の日本経済すなわち就業機会という出口問題が鍵になる。外交については政策が支離滅裂というか、何の政策もなかったことが明白になっている。もう少し足元の問題として、法人税率の引き下げのために個人に対する増税、社会保障の負担増が検討されているが、景気が十分に回復していない現状からすると、非常に危うい政策であり、パッチワークをやろうとしているにすぎない。
思うに、どうすれば本物の政治家を育てることが可能なのか、政治家版ジョブカード制度の導入が求められているのかもしれない。広範な教養と深い知見、大きな度量と大胆かつ緻密な行動力、そして誰よりも国を思う気持ち、そんな政治家はどこに行ったのだろうか。

2010/11/13


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