世界のソニーに元気がない。今も世界のソニーなのだろうか。それはともかく、先週の日経夕刊の最終面「こころの玉手箱」はソニー元社長の大賀氏だった。昔、彼の「私の履歴書」を読んだ時に感じたのと同じことがあった。
それは「SONY」というロゴというか、そのロゴを構成するそれぞれの文字サイズへのこだわりである。デザイナーとしては正しいのだろうが、それを「私の履歴書」で得意気に論じていたことに疑問を感じた。世界のソニー社長としてそこまで得意になるのはどうなのだろう。またまた「こころの玉手箱」でもロゴを論じているのだから、彼の社長としての最大の手柄はそれだったのかもしれない。
調べてみると、社長だったのは1982年から95年である。必ずしもそこでソニーの凋落が表面化したわけではないが、アナログからデジタルへの移行期が、長年君臨した彼の社長時代の最後でもある。ちょうどマイクロソフトが台頭し、ヤフーの検索システムがもてはやされ始めた時期に相当する。その流れにソニーが乗れなかったのは、デザインという細部のアナログにこだわり過ぎたせいではないのか。
今日の日経朝刊の一面下のコラム「春秋」にはアナログの重要性が論じてあった。もちろん人間はアナログなので、究極はそうなのだが、アナログだけではニッチな商売しか成り立たなくなっている。グローバルに商売をするのなら、アナログとデジタルの組み合わせ、いわゆる「あんばい」が社長の腕の見せ所だろう。
そこまでロゴにこだわる時間があったのなら、音楽でも聞いてって大賀氏の場合は釈迦に説法か、風が木の葉を駆け抜ける音と鳥の声をアナログで聞いて、パソコンとインターネットが普及したデジタルな時代の世界戦略をじっくり練る必要があったと思える。
2010/11/22