社会福祉に関して世代間の問題が生じた直接的な要因は、福祉という名を借りた中央省庁の縄張りの拡大にある。自分らの省庁の権益を拡大することが、高度成長期の役所の目的と化していた。
昔、今から30年少し前、役所に出向した(正確には派遣になった)。初っ端に出会ったのは「新政策として何かないか」という異国語だった。それに続く言葉から推測するに、来年度予算に向けたネタ探しだった。経済が成長するから役所も成長しなければならないが、そのためには口実が必要である。その口実が「新政策」である。今の大学も変わらない。何か目新しい口実がないと予算が増えず、ジリ貧である。経済の成長とともに増えるべき予算はどれか、成長と関係ない予算は、いずれ消滅すべき予算は、なんて選別しようという発想は政府にない。基本は1年ごとに予算を決定する単年度主義だから。
社会福祉もそうだろう。医療、年金、介護と、新しい福祉の対象を編み出し、予算化し、ついでに外郭団体を創設するというように、縄張りの拡大を図らなければならなかった。何が本当に社会として必要なのか、そんな議論もあったとは思うが、バイアスは拡大の方向にかかり、整理や縮小は「負け犬」的発想だったに違いない。何でここで「犬」なのかは問わないで欲しい。負け猫とも、負けカラスとも言わないから。勝ち馬という表現はあるが、そもそもの意味が違うし。
それはともかく、介護保険の制度を導入するときが、本格的なというか、最後の議論の糸口だったと思える。「本当に財源があるのか」、「他の社会福祉との整合性はどうなのか」、「他の福祉制度との重複部分をどうするのか」などの戯論である。当時の状況からすれば、社会福祉が近々財源的に破綻するのは明らかだったわけだから。
それにもかかわらず、新たな制度がほとんど上乗せ的に導入された。現在、早くも重荷になっている。介護に関する現状を新聞などで読むと、「そんなアホな」、「誰がやったんや」、「やっぱりね」というわけだが、走り出した以上、もはや誰にも止められない。
誰にも止められないということは「早く既成事実化した者勝ち」なわけだ。でもそんなルールなんて、第二次世界大戦に負けた直後のドサクサ状態から一歩も進歩していない。
2010/12/20