日本企業つまり「ものづくり日本」の陥穽というか、けなしというか、昨日はそんなものを書いてしまったので、ついでにこの路線で政治を見てみよう。結論は、落とし穴どころか穴だらけのように思う。
政治はしたたかでなければならない。外部との交渉が重要だからだ。すぐに「面倒だ」と思う某K(ボケじゃないよ)のような人間には向かない。しかし、政治は交渉だけではない。ある場面での交渉は、全体像の中で成り立っているはずだ。だから、全体像を大きく崩さないかぎり妥協できるし、どこまで妥協できるのかを考えながら交渉しなければならない。できれば、妥協したふりをして理想に一段と近づけられればいい。
もう少し言えば、政治には構想力が求められている。それも、現実性を担保した構想力である。つまり、全体的な構想の中の何かを約束したとして、その約束を達成するための予算が確保できるのかどうかが問題である。片方で、予算をこつこつと計算しながら、片方で社会としての理想に近づけるような構想を描き、それに向けて大胆な妥協も辞さない覚悟で交渉をしていく。これが政治だと思う。
では、現実の日本はどうなのか。ブログとして何も書く必要はないだろう。計算の裏付けのない、構想の体をなしていない、思いつき程度の政治が続いてきた。実は立派な構想があるのかもしれないが、それに向かった交渉の努力が見えてこない。
さ迷えるオランダ人は喜望峰を舞台にした話らしいが、霞が関を舞台にしたさ迷える日本人の話が後世に語り継がれなければいいのだが。
2010/12/07