体調の悪い時に思うのは、講義の時間に教員がまじめに出席して、学生が出席しなくていいのかという疑問である。学生は大学にとってお客様なのだからという返答を時々もらうが、何か変だ。
そもそも貧乏な大学は講義の時間に十分なTA(teaching assistant)を雇えない。というか、真面目に講義をしろというのなら、本当は出欠を取るために全講義にTAを付けるべきである。15分程度の遅刻は認めるとして(教員も数分程度遅れることもありうるから)、TAが、開始後15分までに出席している学生に出席票を渡し、15分経過すれば一斉に回収し、その出席票に基づいて出席一覧を作成すべきである。
私といえば、そんな出席を取っていれば、それだけで30分やそこら無駄に時間が経過するから、出席していなければ答えられないような問題をいくつか試験に出して、何割か落とすようにしている(何て勢い込まなくても何割か自動的に落ちるのだが)。もちろん、最初の講義で試験の注意はしているから、闇討ちではない。
本来は学生に勉強させるような運営を行うべきである。留年が何割いるから教育が悪いのではなく、毎年、一定以上の成績を取らなければ進級できないようにしたほうがいい。もちろん、その前提としてしっかりした講義と講義の方法を教員側と大学が敷かなければいけないが。
適当に講義を登録し、適当に出席して試験を受けるかレポートを提出すれば、余程のヘマをしないかぎり卒業できる制度、とくに文系の制度は平等かもしれないし、学生にとって心地良いだろうが、いざ社会に出れば、欧米はもちろんアジアの大学の卒業生にたちまち大敗してしまうこと、必定である。4年間の楽のために、卒業後の一生が苦しみそのものなんて、滑稽でしかない。この競争力が企業や日本社会の競争力に跳ね返るなんて、悲喜劇である。
2010/12/13