今日の日経夕刊の「こころの玉手箱」に「すっぽん鍋」のことが書かれていた。すっぽんのことを「◯」(まる)と京都で言うとのことだが、大阪でもそう言うらしい。何故か。
よくわからないし、調べてもいないが、カミさんに言わせると「残すところなく、まるまる食えるからやろ」とのこと。当たっているような。
子供の頃、郡山の金魚の養殖池でもすっぽんがいた。冬になり、池の水を干すといろんな生き物が出てくる。ドジョウは鍋になったと思う。すっぽんも登場した。これも鍋になったのだろうか。子供には無縁だった。普通のカメはそのまま放したのだろう。
すっぽんを初めて食べたのはバブルの頃だから、すでに20年以上経っている。高い割には感動しなかった。
それが、上海で個人的に食べたのがすごかった。今、上海大改造の余波で店はないと思うが、豫園の近くの老舗だった。すっぽんがその店のメニューにあることに気づいたのか、すっぽんを目当にその店に行ったのか忘れたが、着いてすぐに注文したところ、他の料理が出終わってもなかなか登場しない。
いらいらして待ったが、おもむろに出てきたのを一目見て感動した。大きなスープ用の器の中に一匹がそのまま浮かんでいる。一口食べてますます感動した。だから、ほとんど残すことなく食べてしまった。残ったのは脚の骨、数個だったように覚えている。まさに、しゃぶりついたわけだ。
値段は安くはなかったが、思うほど高くもなかった。今の牛丼数十杯程度だっただろうか。「牛丼と比べるな」と、そのすっぽんに墓場(って胃袋)から叱られそうだが。
2011/02/08