日本の政治は不作を通り越し、凶作の状態にある。前原氏の外務大臣辞任への感想である。日本の顔ともいうべきものは総理であり外務大臣である。これらが日替わりでどうするのだろうか。
いくら親しい国であっても、誰と政策を協議していいのかわからなくなり、混乱する。政策の一貫性も担保されない。ましてや親しくない国からすれば、好意的な接し方をしようにも、誰に話したらいいのか糸口が見つからないだろう。好意的でない国の場合、日本をバカにするだけだ。
日本の経済的な力が十分にあれば、多少政治が不作であっても何とかなった。その経済力という頼みの綱にも黄信号が点滅している。これに加え、政治が凶作とくれば、どうなるのか。貿易問題、資源問題、領土問題、財政問題など、不安がいっぱいである。
こんな政治の凶作を支えているのが与党だけかといえば、そうではない。野党も責任重大だ。重箱の隅をつついて外務大臣を辞任させ、外交の混乱を増幅させることが国益なのだろうか。与党と戦うのなら政策論議という正攻法を用いるのが筋である。
こんな重箱の隅をつつくのが常套手段となった感のある政治と議員に、国民として大枚をはたく気には到底なれない。落語に登場する長屋の井戸端会議だけで十分だ。
政治の凶作を支えているもう片方の柱が「撒き餌作戦」だろう。「何故、役にも立たない政治と政策に大枚をはたかんとアカンのや」という国民の怒りを逆手に取り、実行不可能な手当拡大、公共料金の無料化、さらには減税政策が競って提案されている。企業経営であれば、何を事業としてやるのか、それに対する収入と支出がどう推移するのか、経営が危うくならないのか、最低限この程度の情報を数字として提供しないと上司からどやされる。残念ながら、日本の政治にはそういう世間的な常識がなく、撒き餌的政策を打ち出した者勝ち=当面の選挙に勝てるという村の常識があるらしい。
そんな村の常識を育み、その撒き餌にいつも乗る国民がいるというのは、そもそもは教育の貧困というか教育の「ど貧困」に発しているのだろうか。全世帯がサラリーマン化した日本にあって、その家庭に育つ子供は、物を作り、売る現場とその苦労を実体験できなくなった。だから、考え方が甘い。天から金が降ってくると思ってしまう。そうであるから、早い段階で実務教育を行う必要があると思う。現在の教員の多くもサラリーマン家庭に育ったことを考えると、手遅れかもしれないが。
2011/03/07