川北英隆のブログ

絶好機を活かせなかった菅

3/11のフレンチとワインでの地震談義で、「菅は運が強い、外国人からの献金疑惑で追求されそうになったとき、その危機を大地震でとりあえず逃れられたのだから」と話していた。しかし、能力がなかった。
昨日の朝、ヘリで現地を視察したのは「さすが勘のいい政治家」といったところだが、原発問題で実力をさらけ出してしまった。
被災地の救助は、救助に向けた計画を立て、自衛隊などに実施命令を出すことで山場が終わる。発生してしまったことへの対処に必要なのは「腕力」だけである。優秀な補佐がありさえすれば、淡々と処理が進むだろう。
しかし、将来、かなりの確率で発生しようとしていることに対しては「頭」が必要になる。原発の冷却装置が働かなくなったとすれば、この先、最悪の事態として何が起こるのかを想定し、先手を取るよう対処することが必要である。それも、地震での大混乱を念頭に置いての想定と対応が求められる。その対応によって追加で多少の被害が発生したところで、最悪を食い止められれば国民は納得する。当初、報道されたように、アメリカ軍の協力も得て海上から必要な物資の補給ができなかったのか。福島上陸大作戦である。専門家でないので、効果の程はわからないが。
現実は判断が後出しに終始し、建屋爆発という事態を迎え、原子炉の廃止につながる海水注入を余儀なくされた。しかも、まだ事態は収束していない。適切な情報提供でさえできていない。
民主党が政権を奪取したとき、日本が変わるのではと大いに期待していた。しかし、「こりゃホンマ、アカン」と思ってしまう昨日と今日だ。
官僚は優秀だが、事例主義である。事例に乏しい非常事態に直面すると、適切な判断が困難となる。政治家に求められるのは、その適切な判断だろう。しかし、判断は「勘」でするものではない。教養に支えられた総合的な能力である。しっかりとした裏付けを、しかも瞬間的に描くことが必要と言える。日本の政治家というか政治集団に不足しているのはこの能力だと思う。要するに、基礎的教養を支える勉強が不足していて、勘と人任せで勝負してしまっている。

2011/03/13


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