夕食を食べていると家内の携帯が鳴った。訃報だった。家内と同年の親友が5年ほど前から具合が悪かった。それが、今日の昼に亡くなったという。
東京の家にも、今の京都の家にも来たことがあった。我々が結婚する前にお祝いの夕食会をしてもらったこともある。見た目にも丈夫そうだったが、それがいけなかったらしい。定期的な検診を怠り、病気の発見が手遅れだったため、ということだ。
先々週だったと思うが、家に架かってきた電話をたまたま取り、一言二言話した。具合がかなり悪いということを聞いていたし、声や話のトーンがいつもと違っていたので、「ひょっとしたら」と思わなくもなかったが、喋り方に元気があったので、まさかと思っていた。亡くなったのは自宅で、それもひどい痛みもなかったということだから、それだけは幸いだっただろう。
明治の頃ならいざ知らず、長寿の時代にあっては早過ぎると思う。とはいえ、年金の支給年齢に達した者として、いつどうなるのか先が読めない段階に到達しているのも確かだ。前の会社の同期入社も次々に定年を迎えていて、好きな生き方を始めている。いわば猫的な生活の始まりである。
大震災がどうとかこうとか、すでに1月が経過したわけだから、大宴会でもしたいと思っていたところ、親しい人の通夜に遭遇したわけだから、それこそ故人のために楽しく飲み明かしたいものだ。今日は京都の桜が散り始めていた。
2011/04/13