日本は奉加帳が好きだ。建前は社会主義国家を否定しつつも、本音は、「損得を誰しも一律に負担するのがいい」と思っているのだろう。村八分にならない工夫である。何か変だ。
今回の原発事故でも奉加帳、すなわち全国の電力会社が原発事故の損失を共同で負担する方式が導入されるらしい。政府の負担を最小限に抑えるアイデアでもある。預金保険方式だとか新聞には書いてあったが、保険会社が2000年前後に次々に破綻したときにも、保険保護機構なるものが作られた。もっとも保険の場合、政府に負担が及ぶ規定はない。今回の原子力発電と電力とはこの点で大いに異なっている。
原発の事故が、東電をはじめとする電力会社の責任だけかというと、決してそうではない。監督権限を有している政府が「建設、OK」と言い、その後、新たな科学的知見があったにもかかわらず、抜本的な施設改善命令を出してこなかった。「怠慢であり、癒着だ」と言われたとして、何か返す言葉があるのだろうか。かつて非常に親しかった某氏は、原発に関わったため、たちまち太郎はお爺さんではないが、今で言うメタボになった。要するに接待が続いたわけだ。
それはともかく、奉加帳を回し、全国の電力会社に今回の事故の補償を負担させるのは、政府にとって「すばらしいアイデア」である。負担が少なくてすみ、予算上、万々歳だ。でも、ハッピーエンドで終わるのだろうか。負担は電力料金を通じて個人や企業に回ってくる。個人は実質的な収入(可処分所得)が減るから、消費を抑制するだろう。企業は、直接的には収益が落ちる。さらに、生産コストが高くなる。世界的な競争力が失われかねないから、結局は電力料金の安い(もちろん人件費や税負担の少ない)海外に生産拠点を移すのではないか。いずれ国内の生産が落ち、税収が減ってしまう。
「うまい話しはない」、「ただ飯はない」。今回の政府の奉加帳は、東電を実質的にも表面的にも潰さない意味ですばらしいが、その代わりに日本経済が新たなボディーブローを受けるに等しい。
2011/04/15