ソニーの元社長の大賀典雄氏が23日に死去した。その直前に大量の顧客データ漏洩が発生していた。その事実をソニーが公表したのは26日。株価が急落した。東電、みずほに続く大事件だ。
東電が日本を代表する企業であるのは「あたりまえ」だ。公的な色彩の強い企業であり、料金体系は国の監視下にある。原発に代表されるように、設備も国の監視を受けてきた。実質的に半官半民的経営だった。
みずほは、富士銀行、第一勧業銀行、日本興業銀行が合併して誕生した。富士銀行はかつてのトップ銀行としての歴史を有している。第一勧業銀行は第一銀行と日本勧業銀行が合併した銀行である。第一銀行は名前のとおり日本初の商業銀行である。日本勧業銀行と日本興業銀行には産業政策上、特別の役割と地位が与えられていた。みずほが日本勧業銀行の流れを受けて今でも宝くじを扱っていることに象徴的である。
これに対し、ソニーが戦後すぐにベンチャー企業として生まれ、日本の代表的企業になったのは周知のとおりである。しかし、ソニーの年齢は65歳。日本社会にどっぷり浸かってしまい、老化が始まったので、外人をトップに据えたのだろう。前(2010.11.22)にも書いたが、大賀氏は経営者としてどうだったのか。ロゴという形にこだわり、魂を吹き込まなかったのではないか。そのブログには書かなかったが、ソニーの初期の頃のパソコンは最悪に近かった。それに懲りたので、今どうなっているのかは全く知らない。外人トップの機能発揮に今後を期待したいものだ。
それで本題だが、制度改革や、株式市場でM&Aの動きがある度に、常に唱えられてきたのが日本的経営の良さ論である。世界的な潮流に無批判に乗るのはアホだ、日本的良さを追求することに真理があるとの論調である。
それぞれの国の伝統と文化を否定するものではないが、改革を阻止する盾として日本的経営の良さ論が使われることに違和感があった。学者が日本的経営を分析し、褒めることには後講釈の感が否めなかった。その日本的経営の良さ論が、どこに消えたのか知りたいと思う。再度、理論武装して登場するのだろうか。
東電、みずほ、そしてソニーの事件を反芻してみると、日本的経営こそアホだったか、本来の日本的経営と「日本的経営の良さ論」の「日本的」との間に大きなギャップがあったのかのどちらかだと思えてならない。自分自身の体験を振り返り、大学卒業当時と教員生活に入った頃とを比べると、その30年近くの間に日本企業は大きく変化している。一言で「日本的経営」と言い切ることに無理があるのだろう。
2011/04/29