学生向けにちょうどいい文章の事例があった。どの大学でも初年次ゼミなるものをやっている。高校が満足な教育をしないので、そのトバッチリかな。そのゼミで文章の書き方も教える。
文章の事例は、本日の日経朝刊の「春秋」からである。そこには、日本に帰化するドナルド・キーン氏のことが書かれていた。気になったのは次の冒頭の文章である。
6年前、ドナルド・キーンさん(88)に会った。本題が終わり、「息抜きにどんな本を読むのか」と尋ねた。幕末の画家・思想家、渡辺崋山の伝記を雑誌に連載していたので、気分転換に新しい小説を手にすることがあるかと考えたのだ。
これを例に出すのは、こう書かなければならなかった事情(字数の制限)も理解できるので、少し申し訳ないのだが。
何が気になったのかというと、3つ目の文章には主語が3つ隠れていて、その構造が分かりにくい。書いているのが記者だという前提に基づき、「キーンさん」という主語が「連載していて」と「手にすることがある」という述語につながり、「私」という主語が「考えた」という述語につながっていると推測できるのだが、この推測が当たっている保証はない。書いたのが著名な記者なら、雑誌の連載が記者の場合だってありうる。
源氏物語風に敬語を上手く使って主語を暗に示しつつ書くと、次のようになるだろう。同じ単語の使用を避け、かつ文字数を原文と同じにするため、敬語以外にも2箇所の変更がある。
6年前、ドナルド・キーンさん(88)にお会いした。本題が終わり、「息抜きにどんな本を読むのか」と尋ねた。幕末の画家・思想家、渡辺崋山の伝記を雑誌に連載されていたので、気分転換に小説を読まれることがあるかと考えたのだ。
この修正案を「変や」と言われる可能性もあるが、学生向けだからということで許してもらおう。
2011/04/29