食事は民族にとっての最大の文化である。絵画や文学のように、食品そのものがそのまま目に見えるものとして後世に残らないが、感覚として残っていく。
自分のことを思うと、何でも食べられるものの、何日も旅行していると食欲の減退していく食べ物ってあるものだ。
思い出すと、ドイツからチェコにかけての田舎料理はまずかった(プラハは美味かったが)。塩を噛んでいるようなものだ。もちろん肉とか野菜とかは入っているのだが、そのまずさが喉につかえてしまう。完食主義者だったが、とあるチェコのホテルのレストランでは食べられなかった。
スコットランドの料理もひどかった。甘いと言うか油まみれと言うか、そんな料理に完全に食傷してしまい、とある田舎町でさんざん歩いて見つけたタイ料理店に入ったが、これもスコットランド風の甘いタイ料理だった。「こんなん、あり」と思った。
アメリカは昼のハンバーガー攻めで参ってしまう。もっとも、夜、ちゃんと食えば、ちゃんと美味い。
日本料理はピンキリだが、食べられないものはない。関西からすると、九州は甘いし、関東以北は塩辛い。でも、どうやらこうやら食えるだけすごい。しかし、そんな日本料理がすたれているように思う。
最悪はハンバーガーがのさばっていることだろう。野菜と、肉と、炭水化物と、別々に頼み、自分の好みで混ぜて食いたいものだ(さすがに、食べたいとは言えない)。
次の最悪は、何でも生でたべようという節制のなさだろう。生ではなく、適度に味をつけると美味いのにと思う。関東の生魚の寿司も美味いが、大阪の馴れ寿司も美味い。つい最近食べた鮒寿司はとくに美味かった(鮒寿司が臭いなんて、誰が言うたんや)。要は、食品を加工するのも文化である。と、書きながら、生で食べる蜂の子も美味いなあと思いだす始末だが。
2011/05/07