先日、吉野家で牛鍋丼を食べていたら、年配の夫婦が入ってきて、慣れない様子でセットメニューを頼んでいた。「夫婦で出てくるんやったら、もうちょっとましなとこで昼飯を食えや」と思った。
というこっちも、ええ年のオッちゃんが牛丼やのうて牛鍋丼だったので、あまり大きなことは言えないが。牛丼屋のいいとこは早いことである。講義や会議が続いて時間のないとき、コンビニの握り飯か牛丼屋が一番である。それと、牛丼では吉野家が好きなのだが、類似店と極端な価格差があるので、同じメニューを注文するのも気が引ける。
で、その夫婦を横目で見ながら思ったのは、日本の食生活が貧しくなったことである。サラリーマンの頃、東京の真ん中近くにいたこともあり、昼飯を食べ、その後で喫茶店に入っていたので、1回当たり1000円は軽く超えた。そのうち、90年代の後半だったと記憶しているが、店屋の値引き競争になり、1000円でコーヒーを付ける店が出現した。東京を引き上げる頃、安いラーメン屋が流行り、コーヒー1杯400円以上する喫茶店が消えかかっていた。今はどうなっているのだろうか。東京の真ん中から少し外れた場所で食べる場合、もしもコーヒーを飲んだとしても1000円以上出すことはほとんどないだろう。
しかしである、大量生産的な食べ物は安くなったが、かつての馴染みの食べ物はえらく高い。大好物の油揚げ(キツネかいな)がその例だろう。たまに食べたくなる吉野家のではない普通の鰻丼も毎年値上がりしていて、意を決して食べないといけないほどだ。
給与も年金も物価下落を理由に下がるか、少なくとも上がらない。懐が寂しくなっているから、高いものになかなか手が出ず、吉野家の年配夫婦のようになる。皆が安いものしか買わないから企業の売上が伸びず、業績が良くならない。だから、企業は人件費をカットして利益を確保しようとする。それで最初に給与カットをくらうと、「どこそこ企業はえらく高い給与を払っている」と批判することになり、その声が給与引き下げを広げるきっかけとなる。お互い、足の引っ張り合いである。
「法人企業の分析」で見たように、日本では人件費をどこまで引き下げられるのかが焦点となってしまう。日本企業は縮小均衡を目指しているのに等しい。リスクをとって海外に進出したり、新製品を開発したりするよりも、手っ取り早く確実に成果を得られるのが人件費カットである。それに皆が走っているとしたら、日本には小賢しいサラリーマンばっかりが蔓延っているとしか評価できない。だれがこの悪循環を断ち切らないといけないと思う。震災後の風潮を見ていると、まだまだ道程は遠そうだが。
2011/06/16