2回目にマダガスカルに行ったのは2006年3月だった。前回は8月だったので季節が違うし、別の場所にも行く予定だった。新たなメンバーが「行きたい」と言ったことも大きな理由だった。
ところが、その新メンバーが直前にキャンセル、結局は山と海外旅行のいつもの相棒と2人で行った。しかも、アンタナナリボ空港で迎えに来ていた現地ガイドも前回と同じだった。日本語のできるマダガスカルのガイドは1人なのかもしれない。さらにさらにだが、ほぼ同じコースを新婚旅行の2人連れ(3人連れやったらおかしい)と回ることになった。彼らの方が少し長期の旅行で、後半は分かれたが。
料理は7年前よりもよくなっていた。牛肉の料理が少なかったように記憶している。そもそも、肉の乳臭さがなかった。小競り合いの絶えない辺境の国だが、世界的な経済発展の影響が及んでいるのだろうか。とはいえ、市場に行かなかったので、黒山の牛肉が消えたのかどうか確認できなかった。
その旅行の後半、前回予定の飛行機が飛ばなかったマダガスカル島の南端の港町で、同じように飛行機が飛ばなくなった。その町で泊まる予定はなかったのに、結局は2泊し、別の場所を訪れることもなく、アンタナナリボからそのまま帰国せざるをえなかった。
その2泊目の夜、ワタリガニのような大きなカニの料理が出てきた。「さすが海の町」ということで、現地の赤ワインで景気良くカニを食べたまではよかったが、翌日、腹の調子が悪くなった。相棒はベトナムと同様(それよりは少しましだったようだが)、悲惨なことになった。もっとも、ベトナムでの学習効果からパンパース系の準備をしていて、それが役立ったようだ。ついでに書いておくと、相棒は新婚旅行の男性にもパンパース系を進呈していた。2人は医者だったのだが、どうしようもなかったらしい。
マダガスカルの料理の思い出はそこまで。相棒はもちろんアンタナナリボ大学のことを言わなくなった。こちらは、依然としてマダガスカルが大好きなので、今度は別のコースに挑んでみたいと思っている。
2011/07/17