川北英隆のブログ

山と海外の食事・ガラパゴス

サラリーマンを辞め、比較的時間が自由になり、日本から遠い南米に出掛けることが可能になった。2005年、ガラパゴスに旅行した。ガラパゴスは火山島の集まりだから山もあるが、登れなかった。
同行したのはいつもの相棒、その相棒の姪(高校生)、共通の友人の娘(大学生)だった。その時はアメリカのヒューストン経由で、夜遅くエクアドルの首都であるキトに入った。翌日はキトを見学。その翌日、国内便で海岸の都市グアラキル経由でガラパゴスのバルトラ島に着いた。そこから船とバスで港町のプエルトアヨラに入り、すぐに船に乗り込む。その後の移動と宿泊はすべて同じ船である。
離れた島に行く時には夜中の移動となる。島に上陸しては鳥、イグアナ、アシカ、植物を見る旅が続く。季節は3月、ガラパゴスは赤道を挟んで点在している。日中、太陽は真上にある。島の火山には雲がかかっているものの、海は毎日晴れている。大きな鳥が飛んでいく。
3食はすべて船のコックが作ってくれる。そんなに大きくない船で、乗客は30名くらいだっただろうか。乗員が5名少しくらいだった。料理はスープとメイン、果物もあったように思う。味は普通だ。ビールを頼むと冷蔵庫から小さい瓶ビールを出してくれる。
昼間にビールを飲む趣味はないし(ましてや朝は飲まない)、乗客が島に上陸している間に、コックが昼食の支度をしていて、船に戻るとすぐに食事だった。
夕食は少し違っていた。船で少し移動後、目的の島の横に錨を下ろし、食事の準備が始まることもあった。そこで待ち時間ができる。そんな時、まずはビールを1本頼み、デッキに上がって海風に吹かれる。ゆったりとした波に揺られながら、赤く沈んで行く太陽を眺め、ビールの栓を抜く。格別だった。
ビールの値段は、記録によると2.5米ドル(エクアドルの通貨は米ドル)だから、普通だと安くはないのだが、その時ばかりは高いとは思わなかった。船でのビール代は最後にまとめて支払ったのだが、担当の兄ちゃんが本数を数え損なったのかもしれない、なんて。

2011/07/23


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