今日の大機小機を読んで思ったのは、リーダーであることの報酬とは何かである。本当のリーダーに対する報酬とは金銭的なものなのだろうか。逆に、リーダーは金銭的に報われるべきなのか。
この点、企業のリーダーなのか、社会のリーダーなのかで違いがあるだろう。企業の場合、企業自身が利益を得なければならない。利益を得れば、そのリーダーも金銭的に報われるだろう。最近の社長は5年前後で退任するから、自分の在任中の利益を追求しがちだとの議論もあろうが、その後は会長になる場合が大半だから、もう少し長期的な視点でリーダーとしての経営判断が可能である。
これに対して、政治のリーダーには選挙がある。選挙を考えると、リーダーとしての政策はその選挙を意識したものになりがたである。日本のように、いろんなタイミングで選挙があれば、大変である。また、金銭的な対価も大企業の社長と比較すれば大したことがない。「リーダーになれば、議員としての資格が死ぬまでほぼ確約されるし、トータルとして十分な報酬があるのでは」と言われると、確かに庶民感覚的には報われているのかもしれないと思う。しかし、余程無神経でないかぎり、批判の集中砲火を浴びれば、すぐさまリーダーの地位を放棄したくなる程度の金額でしかない。実際のところ、このような例も見られるようになった。
政治家の場合、最大の報酬は「社会のこれだけの貢献をした」という名誉ではないのか。その名誉にどれだけの価値観を持てるのかが、社会のリーダーになろうとするのか、別の仕事に就こうとするのかの分かれ目である。
現在、報酬などどうでもいいから社会に貢献したいとの価値観が、日本人をどれだけ動かしているのだろうか。極論すれば、自分の信念さえ貫ければ、たとえ暗殺されてもいいとの価値観の有無である。今の日本社会の混乱は、社会的貢献の価値観が、金銭的価値観に圧倒的に負けていることに原因があるように思う。政治家が金銭的な実入りのいい「職業」になってしまったことにも罪がある。同時に、合計何年間リーダーをやってきたという、表面的な評価というか名誉欲に対するこだわりもかなり強いようだが。
2011/07/29