川北英隆のブログ

終戦記念日に思う

今日は66回目の終戦記念日だそうだ。1945年から66年が経過したことになる。もちろん戦争の体験はないが、父親が戦争のために外地に駆り出されていたので、比較的身近だ。
高校の社会科の教員はこの日を「敗戦の日」と呼んでいた。客観的にはそうだが、父親のことを思うと、家ではそういう表現を使えない。大学ではときどき使っているが。
父親は昭和14年に入隊した。その後、中国の安徽省に行き、昭和18年にシンガポールからビルマに移り、昭和22年に帰国したそうだ。年齢として、21歳から28歳までである。飲むと、「青春はすべて戦争で無に帰した」と言っていた。父親はA型人間だから(そこで何で血液型なんやというところだが、いい加減だからこそ客観的になれるO型人間からするとそう表現せざるをえない)、少し深刻すぎる感想だと思うが、理解できる部分も多い。
その戦争で報償が得られたのなら満足感があったのかも知れない。もっとも、ここも客観的に考えると、その後の日本をより悪い方に導いたことになり、ますます大後悔になったかもしれないが。現実は敗戦を迎え、よく知らないが父親としていろんなものを失い、実家に帰ると両親からは「そのざまは何や」と冷たくされ(これも極端な反応だと思うが、現実はそれに近かったらしい)、一から新たな人生を切り開く必要があった。30歳近くなって、なかなかの難題である。
それはともかく、父親を含めた広い意味での戦争犠牲者の現実を考えると、靖国神社の問題を単なる主義主張の代弁としてほしくないし、戦争の問題や東アジアとの関係をもっと現実の問題として考えてほしいと思う。台湾やビルマに行くと、単純な侵略国日本と当事国の図式で説明できないことは歴然としている。
日本の政治は好きではない。明治以降の政治の主流は後進国のものでしかなく、日本が経済大国になってからは政治的な信念が失われた。極論すれば、政治がゼニになる商売となっただけである。しかし、戦争のことを考えると、政治がダメなら経済が壊滅的な打撃を受けることも確かな事実として認識しなければならない。
とりあえずのところ、壊滅的ダメ政治を予防するには、国民として何に目配せし、ボスとして誰を選ぶべきなのか、もしくはボスの選び方が今の間接的な方法でいいのか、アメリカのように直接に近い形で選ぶのがいいのか、憲法の改正を含めて、よく考えないといけない。ここ数年のボスの日替わりメニューでは、単なる「日本」という文字の入ったコケシの入れ替わりにすぎず、世界に対する日本の発言力が地に落ちることだけは間違いないのだから。

2011/08/15


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