気になる日本語がある。1つは「お疲れ様でした」である。もう1つは男子、女子という表現が広がりを見せていることである。社会生活や感覚の変化が背景にあるようだ。
「疲れた」と言えば、身体が疲れたことを表現する。精神的に疲れた場合は「気疲れした」というように、特定しなければ一般には通じない。だから、「お疲れ様でした」と言われると、「ぴんぴんしてるで」と思ってしまい、むずがゆくなる。「お疲れ様でした」と類似するのが、久し振りに会ったときなどの「お元気ですか」だろう。「まだ弱る年齢に達してへんで」と思う。「最近はいかが(お過ごし)ですか」の方が適切だろう。
「ご苦労様でした」は「ご苦労であった」を連想して敬遠されるのだろう。目上の者に対しては「ご苦労様でした」も「お疲れ様でした」も本来使うべきではないと思う。目上=能力者だとすれば、難しい仕事を立派に仕上げて当然だからである。状況に応じて他の適切な言葉、「ありがとうございました」、「おかげで上手くいきそうです」等を選び出さないといけない。一方、同僚や部下なら「ご苦労様」、大阪では「ご苦労はん」でいいのではないか。「疲れたやろ」ならビールの一杯でもご馳走しないと様にならない。
そもそも「お疲れ」の流れはテレビ出演者、とくにお笑い芸人の楽屋での挨拶から来ているのではないかと思う。文字数が少ないこともあり、仲間内で気軽に発せられる。同じ文字数の「ご苦労」では、それこそ偉そうな表現になるし、「ご苦労様」では改まってしまうので。
男子、女子は簡単にすませたいが、要するに無機質な表現である。トイレの表現をイメージすればいい。生々しくならないように、男・女ではなく、男子・女子を冠する。だから、男子、女子の用途の広がりは、人間がロボット化しているような印象を受ける。「素敵な男/女」なら生身の人間をすぐイメージするが、「素敵な男子/女子」では生身の人間との距離がある。人間がゲーム感覚で認識され、その究極が安易な殺人なんて、怖い世の中に踏み込んでいる証拠のようにも思う。
2011/09/11