書こうと思って忘れていたことがある。日曜日が来て、日経新聞の文化欄に目を移し、思い出した。少し以前(9/11)に書いた「お疲れ様」に関するエッセーを記録しようと思っていたことだ。
10/16の川本三郎氏の「っす言葉」と「お疲れさま」と、である。
「お疲れさま」については、「もともとは水商売や芸能界の業界用語」、「もしかしたら70年代に女性の社会進出が進んだことと関係がある」、「職場の女性に対して言いやすく、女性のほうも言いやすいからだろう」とある。
男性が残業で帰ってきて玄関の扉を開けると、妻が「お疲れ様」と、三つ指をつくはどうかはともかく、出迎えてくれる。そんな雰囲気だろうか。このシーンなら(頭の中に描くシーンであって、現実ではないが)「お疲れ様」というか「お疲れ様でした」がぴったりだ。
9/11に書いた時のイメージの1つに、このシーンがあった。今ではほとんど死に絶えているが。その代わりにバーの女性が「お疲れ様」と言ってくれるのか。残念ながら飲むことだけを目的に率先してバーなどの飲み屋に言ったことがないので、よくわからない。それとも職場全体がお互いに相手の配偶者に扮して「お疲れ様」となるのか。こう考えると、日本社会が女性化した証拠かもしれない。
なお、このエッセーにある「70年代に女性の社会進出が進んだ」については疑問がある。「お疲れ様」を耳にして違和感を持ったのは2000年代に入ってのことだと思うので、女性の社会進出以外の他の要因が加わっているように思う。
ついでに「っす言葉」はどこかのアンちゃんの言葉だろう。丁寧さにおいて「・・・です」と「・・・や」の中間にあるようでいて、本当はそれ以外の次元の要素が入り込んでいる。育ちか、人格か、そんな要素だ。
もう1つ、直前のブログでふれた「殺害」だが、辞書によると人間に使うとのこと。その国語辞書的知識を得たところで、依然として違和感が残る。殺す、殺されると無縁の世界にいたから、「我が辞書に殺害はない」のかもしれない。
2011/10/23