川北英隆のブログ

霊柩車に乗る3

父親の死亡も、時間の経過とともに第三者的感情が強くなる。その結果、今日のブログの内容は、葬儀のハウツーものになりそうな。そう思う理由に、今回の葬儀が好評だったこともある。
「霊柩車に乗る2」で書いたように、今回は親戚だけに連絡した。近所にも、勤め先にも、葬儀の前にはあえて連絡しなかった。親戚だけといっても昔のことだから弟妹(昨日も書いたように両親に兄や姉はいない)の数が多い。しかも親戚に農家が多く、稲刈りも終わって農閑期に入っている。だから夫婦での出席も多かった。それにお互いよく知っているから、食事はもちろん、告別式の後に引き続いて行う初七日にもほとんど全員が出席した。通夜の後の食事の数を途中で追加し当初の1.5倍程度になったし、骨拾いに慌ててマイクロバスをチャーターした。
でも、こちらとしても顔見知りだから気楽に対応できる。少々とちっても「ごめん」で許してもらえる。もっと良いことは、葬儀の場が久しぶりの親戚同士の飲み会に早変わりすることだろう。当日も大いに盛り上がり、従兄弟/従姉妹とは子供の頃の雰囲気に戻れた。外部者が混じることと比べれば、変な表現ながら、非常に楽しい葬儀となる。
ということで、差支えがないのなら、親近者だけでの葬儀がお薦めだ。父親の場合、昔の取引先との関係が消滅して30年前後の時間が経過している。本来は呼ぶべき戦友もほとんどが亡くなり、生きていても歩けない状態に近いらしい。ということで、親戚以外を呼ぶ意味がほぼ皆無だった。
でも、葬儀には議員からの電報が複数届いた。しかも市会議員が1人焼香に来た。どこから情報が流れるのか。市役所への死亡届しか情報源がないはずだ。「個人情報の保護」はどうなっているのか。別に大した情報ではないものの、裏でゼニが流れているに違いないと、つい思ってしまう。

2011/12/02


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