川北英隆のブログ

川北恵造(久一)の著作

父のメモリアルとして、何点か著作があるので記しておく。本名は川北久一(ひさかず)だが、戦地から戻り、多分(確認していない)、心機一転のつもりで川北恵造に改名したようだ。
改名する気持ちは理解できないでもないが、私なら改名しないなと思う。それに晩年は川北久一もよく使っていたことだし。
それはともかく、著作物の著者名は川北恵造である。とりあえず次の3点について分かっていることを書いておく。実は手元に実物がないので、後で書き加える(もしくは修正する)可能性もあるが。
1.一三八ビルマ会『烈百三八ビルマ戦線回顧録』(一三八ビルマ会刊行部、浪速社、1976年)、1093ページ。
2.川北恵造『揚子江―日中戦争参戦の実録』(サンケイ新聞社、1979年)、402ページ。
3.川北恵造『烈風―新発掘インパール最前線』(叢文社、1983年)、314ページ。
1.は実質的に父が編纂した。父は1918年生まれだから、58歳の時に出版されたことになる。その当時の生き残っていた戦友から文章を集め、それにいろいろと付け加えたり、事実に基づいて修正したりしていた。大部の原稿なので、「疲れる」とぼやいていたのを思い出す。出版は1000部だった。かなりの部数を、原稿をくれた戦友に配っていたので、ほとんど流通していないようだ。古本として現在も入手できるようだが。実家に残っているのは1冊だけだと思う。
2.は父の戦争の記録のうちの中国(安徽省付近)の編である。サンケイ新聞社に出版を依頼していたが、実質は自費出版に近かったのだろう。読んでいないので内容を語る資格はないが、ちらっと見たかぎりでは私小説に近いかもしれない。日本に帰れると思い船に乗ったが、その船が南方(シンガポール)に向かうところで終わっている。雨が霏々として降っていたそうだ(そこは読んだ)。50歳くらいから少しずつ書いていたように記憶している。
3.は、シンガポールからビルマを経て敗戦までのことが書かれていると思う。激戦の時だから、戦記に近いだろうと思っている。で、戦友と家で飲み会をしていたときの話をいろいろと記憶しているので、そのイメージを壊したくないため、あえて読んでいない。多分、面白いと思うのだが。
2.と3.、とくに3.はいまでも流通しているようだ。神田にそういう地方出版を専門に扱う書店があり、昔はそこに並んでいた。

2011/12/08


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