ギニア湾、とくにアフリカの「脇の下」からは汗ではなく大量の石油が採掘されている。埋蔵量を調べると、ナイジェリア、アンゴラ、ガボン、コンゴ、赤道ギニアなどの国名が並ぶ。
残念ながらカメルーンの名前はないものの、少なくない原油の産出をしているようだ。隣国のナイジェリアとの間(バカシ半島)には原油を巡り、国境の問題も存在しているらしい。そもそもアフリカの多くの国が複数の民族(王国)の集合体であるし、第一次大戦前にドイツの植民地だった地域をイギリスとフランスが分割して統治した経緯から、カメルーンの一部(ナイジェリア寄り)には英語圏が存在し、大部分を占めるフランス語圏との潜在的な対立もある。
現在のカメルーンの産業はバナナ、アブラヤシ(パーム油)、パイナップル、カカオ、コーヒー、木材、ゴムなどであり、北部の乾燥地帯では綿花も栽培している。調べきれていないが、カメルーンには最大都市であるドゥアラに証券取引所がある。2001年に設立され、最初の上場企業がフランス系のミネラルウォーターの会社だとある。小さなビルを間借りしている程度の取引所だが。
通貨はユーロと連動している。中部アフリカ諸国銀行(カメルーン、赤道ギニア、チャド、中央アフリカ、ガボン、コンゴ共和国の中央銀行)が発行するCFAフラン(セーファーフラン、XAF)である。1ユーロ=650 XAFで交換できる。
そんなカメルーンには、今回はバンコク、アジスアベバ経由でドゥアラから入った。バンコクからの飛行機会社はエチオピア航空だった。アフリカのハブ空港になろうとエチオピアが頑張っているらしい。で、そのエチオピア航空の便は実は広州発である。機内に中国人が多いし、中国に商用で出かけた風の黒人も多い。日本からだと乗り継ぎがある分だけ西アフリカは遠い。行きに延2日、帰りは3日かかった。中国からだとアジスアベバまで直行便があるだけ近い。
道を歩いていても「ニーハオ」と声をかけられる。仕方ないので「こんにちは」と言う。街中に日本の会社の看板はなく、唯一見かけたのは郊外の国道沿いの古びたダイキンの看板だった。一方、目抜き通りにサムスンの店舗があった。車はトヨタが多いが、ほとんどは中古を輸入したものだ。日本にとってカメルーンというか西アフリカは未開の地なのだろう。
2012/01/29