2/14の金融政策決定会合で日銀は追加金融緩和を打ち出した。市場の期待をある意味、いい方向に裏切り、円安と株高を誘った。その一方、日銀が政治圧力に屈したとの批判もある。
今回の追加金融緩和には2つの内容がある。1つは、資産買い入れのための基金を55兆円程度から65兆円程度に増額し、増額分を国債の追加購入に充当すること。もう1つは、「中長期的な物価安定の目処」を導入し、当面は1%を目処にするというものである。
基金の増額が実質的な追加金融緩和策である。この基金を用いて追加購入するのは国債である。国際収支の赤字化で不安定になりそうな国債市場に対し、先手を打ったとも思える。日銀が購入する国債はこれで年間40兆円規模に達する。新聞も言及していたように、この40兆円という規模は国債の新規発行額とほぼ同額である。「もはや国債市場は日銀の助けなしに自立不可能な状態に達してしまった」と評価することも可能だろう。
「中長期的な物価安定の目処」について、それを目新しいと評価していいのだろうか。白川氏も記者会見で言っているように、それで何かが変わるというものではない。まあ、形式を重視する日本の国民性からすると、より望ましい金融政策になったのかもしれないが、もっと重要なのは、形式ではなく実質である。
金融は経済の影でしかなく、実体としての経済活動を支えるものだと理解しておきたい。もちろん、金融の役割の重要性が増しているのも事実だが、金融だけが独り歩きしたのでは経済は暴走してしまう。バブルとその崩壊が金融の暴走の典型だということを、再度認識しておく必要がある。
振り返ると、日本の金利水準がゼロ近辺にまで低下して10年以上が経過した。その間、経済活動そのものはどうだったのか、社会体制はどうだったのか、追加金融緩和を声高に要求する前に胸に手を当てて反省する必要がある。企業はどれだけの努力をしたのか。政治は抜本的な社会改革を促したのか。自分たちの体たらくを忘れてはいないのか。金融緩和への執拗な要求は、日本経済の停滞の責任を日銀だけに負わせようとの悪巧みとしか思えない。まず、自分たちが一歩前進し、さらなる前進を助けてもらうために日銀に要求するのなら話は別だが、残念ながらそうは見えてこない。
繰り返しになるが、日本経済の現状の責任は、その大部分が企業経営と政治にある。今からでも遅くないから、経営者として、政治家として、どういう中長期ビジョンのもとに、どのような成果を目標とするのか、具体的数値として示すべきである。その上で、半年ごと、1年ごとに、当初の数値目標をどの程度達成したのか、当初に掲げた数値目標が達成可能なのかどうか、もしも達成不能なら何が障害なのか、定期的に公表してほしいものだ。日銀に数値目標を示せと言うからには、この程度のことは率先してやっていて当然だと考えるのだが・・・。
2012/02/19