「保険を騙る税金」の影はもう1つある。公的年金としての積立金116兆円の約6割を国債に投資していることだ。その積立金の運用機関、「年金積立金管理運用独立行政法人」を責めるわけでない。
年金積立金管理運用独立行政法人、GPIFは政府から命じられたことを忠実に実施しているにすぎない。だから、細かい点はともかくとして、大枠でとやかく言っても無意味である。
では、116兆円の約6割を国債で運用することの意味は何か。「価格変動が少なく、潰れる心配がない」から、「日本国債で運用する」との方針が定められている。今日の日経の5面のコラムでも、この国債の特質が強調されていた。では、本当に現在の国債中心の運用が正しいのか。
「価格変動が少ない」との前提は怪しげである。金利が急上昇すれば国債価格は大きく下落する。「日本売り」になり、外国為替レートも日本国債もともに売られた時(すなわちギリシャ的な高金利になった時)、困ってしまう。
「日本国は潰れないのだから、我慢して満期まで保有すれば元本は100%返済される」と言われても、将来の100兆円が、今の100兆円と同じ値打ちがあるとはかぎらない。物価が倍になっていれば、実質的な値打ちは半分である。たとえば、現時点で国民が今の生活水準を維持するのに100兆円あればいいとしよう。将来、物価が倍になったとすれば、今の生活水準を維持するためには200兆円が必要になる。日本政府から100兆円が返済されたとして、もう100兆円不足している。つまり、「満期まで保有すれば元本は100%返済される」としても、それでは不満である。200兆円になって返済されるような投資が求められる。
仮定の話だが、1ドル100円の時に1兆ドルの(やはり潰れそうにない国)アメリカの国債に投資したとしよう。その後に日本売りで1ドル200円時代になり、投資したアメリカ国債が満期償還されれば、1兆ドル=200兆円が手に入る。このような公的年金の資産運用を誰も考えないのか。
残念ながら、公的年金は税金としての性質を有している。公的年金が純粋の保険であり、116兆円が自由に運用できるのなら、リスク分散のため、ゼロとは言わないまでも日本国債の比率はもっと低くていい。日本人が公的年金の資金のうち6割も日本国債に投資するのは、AIJ問題と同様、リスク集中でしかない。公的年金は本当のところ税金だから、税として徴収した領収書の意味を込めて、国債という日本国の借用証書を、GPIFを介して間接的に渡されたと考えていいのかもしれない。
税と社会保障の一体改革として、現在の公的年金の本当の姿が議論されないのは、与党も野党も脛に傷があるからか。
2012/03/19