川北英隆のブログ

保険料という名の税金3

では、公的福祉制度をどのようにすればいいのか。批判だけでは無責任である。方向性を示しておきたい。
健康保険制度は確保すべきである。ただし、老人医療は税金で賄い、かつ延命的な治療は縮小するのがいい。延命措置が本人にとって望ましいのかどうか。父親に関する実体験からすると、望ましくない。本人も迷惑だろう。自分自身が年老いて動けなくなった場合を考えても、延命措置をされてまで生きたくない。高齢になり、大きな病気をして、もしくは伝染病に罹って死んだとしても、それは本望だろう。本人が「それでも生きたい」と言うのなら、その時は自分で都合した資金で生きればいいと思うし、それまで「駄目」とは言わない。
公的年金はとりあえず破綻措置をとればいい。このままでは実質的に破綻するのはほとんど確実である。突如「破綻」宣言されるよりも、秩序が保てるうちに自主的に「破綻」し、制度を組み立て直せばいい。月5万円か、8万円か、別の金額かはともかく、老後を生きるのに最低限の年金を国民に約束し、そのための原資を税金として徴収すべきだ。それですっきりとする。
最低限以上の老後の生活を望むのなら、それは自助努力である。そのプラスアルファ部分に国が積極的に関与すべきではない。国の資産運用が優れているわけでもないし。
既存の受給権者をどうするのかは難しい問題だが、收入、年齢、健康状態に応じて削減を考えてもいいと思う。現在の116兆円を用いて既得権益をある程度保証したとしても、不足部分が生じるだろう。その不足はある程度我慢してもらう(自分自身にも降りかかるから、我慢する)しかない。
公的年金を中心とする制度の再編には、「これ以上の改悪はない」、「これが最悪の線だ」との公約と、その根拠をはっきりと示すことが必要となる。これらが明確なら、国民の多くは「しぁあないな」と思うはずだ。「いずれ、何かが」と国民は思っているのだから、将来像が明確になれば、それはそれで諦めがつくというか、すっきりとする。

2012/03/19


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