川北英隆のブログ

面白味に欠ける日本の行動

ある会社を評して「面白みに欠ける役員しかいない」と言った知り合いがいた。着実に仕事をするのだが、意外性に乏しいという評価である。着実な仕事は望ましいように見えて、それでは競争に負ける。
その会社の相手(敵)が素人なら着実なことは望ましい。でも、その相手、この場合であれば同業他社もプロである。着実なだけなら、「ヤツは今度こうしてくるはずや」と、相手に行動をすべて読まれてしまう。そうなると競争相手に先回りされ、もしくは裏をかかれ、いいことは何も起きない。企業経営はじり貧になってしまうだろう。
着実に加え、どこかで機会を見つけ、意表をついた行動が求められる。それは、大損しないと計算した上での賭であったり、相手を故意に怒らせる行動であったり、いろいろだ。肝心なのは、「ええっ」、「何を考えてるんや」と思わせることである。できれば、「すごいな」と相手を驚嘆させることだろう。
以上の観点から、今日、残念なニュースが2つあった。
1つは、昨日、政府が主催した東日本大震災追悼式において台湾代表に献花の機会がなかった事件である。台湾は、多額の義援金を出したばかりではなく、親日国(地域)である。旅行するとすぐにわかるが、多くの場面で日本人に非常に親切だ。中国との関係が微妙なことは理解できるものの、義援金の額が多いことは紛れもない事実だから、この機会を利用して特別の扱いをすべきだった。この事件は、日頃から日本政府が台湾を大切にしてこなかった、つまり国際政治上の戦略がなかった証拠である。
もう1つは男子マラソンのオリンピック出場選手の選考である。埼玉県庁の川内選手が外された。今回選ばれた選手が妥当なのは理解できる。しかし、選ばれた選手は常識的に考えて、決してメダルに届かないだろう。そうだとすれば、ある意味サラリーマンの星である川内選手を選んでもよかったのではないか。「賭けてみました」とコメントすれば、国民の半数以上は「しゃあないな」と納得するはず。予想外に上位に入れば拍手喝采である。そういうセンスを持ち合わせていない、スポーツをしている市民の希望を根っこから切り捨てる選考委員会って、それこそ切り捨てられるべきではないのか。

2012/03/12


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