川北英隆のブログ

軍人恩給は死語に

父親の死去からほぼ4ヵ月、死去した年の確定申告をしなければならない。準確定申告といい、「相続の開始があったことを知った翌日から4ヵ月以内」に行う必要がある。
父親の死去は11月27日だったので、準確定申告の締め切りは確定申告の期日より少しだけ先になる。で、何を所得として申告するのかというと、軍人恩給と基礎年金である。
「軍人恩給って何や」というと、「旧軍人の兵・下士官は12年、准士官以上は13年以上在職して退職した者がもらえる恩給」である。また、恩給とは公務員に対する年金であり、1959年に国家公務員共済組合法が施行されるまで制度としてあった。なお、第二次世界大戦に駆り出された場合には、どこに派遣されたかで、実際に派遣された年数を最高3倍にして在職年とする。まあ、こんなことを知っていたところで意味はないが。
以上が普通恩給である。それに加え、1941年12月8日、日本が第二次世界大戦に参戦して以降に「職務に関連して受傷罹病し、障害を有する旧軍人等」には特例傷病恩給が支給される。父親の場合、足に弾丸を受け、2箇所だったと記憶しているが、大きな傷があった。それを申請し、軽い方から数えて2番目、重い方から10番目の特例傷病恩給をもらっていた。子供の頃、大阪に出ると、手や足を失い、軍人の格好をして物乞いをしている人をみかけた。父親は「傷病恩給があるのに」とつぶやいていた。そういう人は一番重いのだろう。
総務省の資料によると、恩給を受けている人数は12.4万人、うち特例傷病恩給を受けている人数は294名とある。この資料の数字は少し前のものだろうから、父親は1/294だったわけだと、変なところで感心してしまった。もうしばらくするとゼロ人となり、特例傷病恩給は完全に死語となる。
注:父親は1939年1月に招集されて中国安徽省に、1943年1月にシンガポール経由でビルマ・インドに行き、1947年5月に帰国している。何故年月を(実は日も)知っているのかというと、本人が奈良県庁厚生課で記録を調べていて、その写しが残っている。父親が家で戦友と飲んでいるとき、恩給の話になると、「ビルマの年数は倍になる」と話していたように思う。

2012/03/17


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