健康保険料、厚生年金保険料が改悪されている。このブログの標題にも書いたように、保険料という美名を騙った税金の徴収が進んでいる。かつての制度が完全崩壊した証拠としか思えない。
今日の日経新聞のニュースに2つの重大な記事があった。1つは、1面の「パートの社会保険料の拡大」に関して、その保険料が特定の企業に大きな担をかけるから、一部(相当部分かな)を既存の健康保険組合の負担で賄おうとの案である。
パートに医療保険制度を拡充しようということに反対しようとは思わない。問題は、その保険料を広く他の健康保険組合に負担させようとの案である。高齢者医療費の負担で味をしめたから、同じことを行おうとしている。
保険料と、その保険料で成立している医療保険制度だが、保険と銘打つからには、加入者自身が疾病になる確率に基づいて事前の拠出額、すなわち保険料が決められるべきである。
もちろん、その制度が民間保険のように自主的なものではなく、社会的色彩が多少入るのなら、「富の再配分」の機能、つまり豊かな者が豊かでない者のために負担することも少しなら認められよう。しかし、その負担度合が高くなるのなら、それは保険の概念から逸脱する。徴収された「保険料」が自分たち自身の将来に役立たない。ということは、それは保険料ではなく、明らかに税金である。
ということで、税として徴収すべきかどうかを議論し、認められれば徴収すればいい。それをいい加減に「保険」だとごまかして徴収すべきではない。ごまかしには、政治的な人気取りの意図が見え見えだ。AIJ事件的に言えば、政治的詐欺だと訴えられかねない。
同じ事は公的年金にも言える。5面のコラムに公的年金が取り上げられていた。その中で気になったのが、大阪維新の会の年金改革案に関して「年金は長生きしたときの備えではなく、長生きしても働けない人のための保険という考え方に変えたらどうか」との意見を取り上げ、それを「異論ではない」と結論していることだ。
このコラムの議論の問題は、健康保険と同じである。「ほんなら、保険とか保険料ではのうて、税金やと白状せえや」ということだ。「税金をオブラートで包んだらあきまへんで」と、ホンマもんの関西人なら叫ぶべきだろう。
2012/03/19