川北英隆のブログ

日米の金融政策の効果に思う

クイックでパネルディスカッションがあり、立場上、それを聞いていた。テーマが「国債金利の上昇懸念」だったから、議論は現在の金融政策にも及んだ。その時、思ったことがある。
金融政策の効果は経済実態によって異なるのではないかということだ。当然だろう。
日本の場合、1999年以降、金融政策は完全な緩和状態に近い。マクロ経済から見ると、使い切れない資金が供給されている。それにもかかわらず、経済に自立的な回復が見られない。2006年前後に経済は回復していたが、それは自立的というよりも、海外経済の活況に引っ張られたものであり、他律的だったと評価できる。
一方、アメリカだが、2008年のリーマンショックにより、日本に近い超金融緩和政策を採用した。「日本が金融政策において先進国」と評され、アメリカもいずれ日本と同じ状態に陥ると「期待」する観測記事や論調が多かった。他人の不幸は蜜の味という風潮だ。残念ながら、現在のアメリカはゆっくりではあるが自立的な回復過程にある。日本もその恩恵を受けつつある。
では、日米で何が異なっているのか。日銀とアメリカ中央銀行組織(FRB)の差ではない。経済の潜在的な力の差だろう。もう少し言えば、企業の活力の差が大きいと思える。もちろん、日本が人口減少プロセスに突入したのに対し、アメリカの人口は依然として増加している。これにより、潜在成長率に差が生じる。しかし、それだけではない。大きな違いは、企業に果敢かつ合理的にリスクをとって成長を図る気概があるかどうかだ。
日本企業は内部にあり余る資金を保有し、総じてそれを死蔵させている。リーマンショックのような「いざという場合に備えて豊富な流動性を保有しておきたい」とのリスク回避的な発想が蔓延しているようだ。うがった見方をすれば、そんな非常時に「どうして資金が不足するんや、どアホ」と社長をはじめとする偉いさんから叱られないための保身である。
同じことだろうが、成長するためのネタがあったとしても、それを拾えていない。この情報化の時代、ある企業のネタは他の企業にとってもネタである。ネタに食いつき、競争に打ち勝って自分のものにするには技術はもちろん、食らいつく意思と合理的な判断が必要となる。そこまでの執念が日本企業にはない。

2012/04/13


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