いよいよ夏が近い。今日は曇っていて風が強かったので比較的涼しかったが、昨日の京都は暑かった。時間に追われていたので、夕方、タクシーに乗ると、運ちゃんが「暑かったね」と話しかけた。
そんな関西の最大の心配事が夏の電力不足だ。関電の供給能力は「原発抜き」で大幅に不足するという。計画停電もありうるそうだ。一種の脅しだろう。一方で、原発再開に向けて、地元の説得、懐柔が活溌化している。
しかし、大震災から1年以上が経過した現時点において、電力の供給をどうするのかの、それも「今年の夏」の議論が活発化するというのは、どう考えても変だ。この間、政府や電力会社が何をしていたのだろうか。夏休みが終わりに近づき、親に泣きついて宿題を必死でやろうというテレビ漫画の世界を思い出してしまう。何が何でも、宿題を済ませたい、原発を再開したいという「頑固な意志」、「天からの声」のようでしかない。
この1年、災害復興も大切だったが、少なくとも数年間は原発が稼働しないことを想定した「リスク回避策」を考え、実行することが重要ではなかったのか。新しい火力発電所を建設することである。電力会社にそんな余裕がないのなら、得意とする手段、政府主導で推進すべきだった。そう簡単に原発が再開できないとすれば、また再開できたとしても廃棄されるのも何割か出てくるだろうから、早々に代替措置が求められるのは必然だったのだから。
これもまた、昨日のブログでの技術者や教育問題と同様、目先の政策だけを追い求めようとの性癖の強い、政府与党のなせる技なのか。
2012/04/26