格付機関で議論していると、最近の海外論文は、債券発行機関からフィーをもらった格付には上方(高格付)バイアスがあり、複数機関が関与する格付には下方バイアスが生じやすいと結論したと。
フィーをもらっている場合、格付機関として利益を上げるためには債券発行機関が長く生存することが望ましい。複数機関が関与する場合、投資家の損失を最小限とするためには競争的に格付を引き下げる行動が望ましい。そんな理由が指摘されていたと記憶している。つまり、格付が両極端に付与されるとの示唆である。とくに、ユーロ問題のように金融が危機的状況に陥っていれば、複数の格付機関が格付を付与する状態は望ましくない結果を招くとの結論になる。以上はゲーム理論に基づく帰結らしい。
以上の結論を導くには、他にも前提が必要だろうが、論文を読んでいないので不明である。
では、現実はどうなのか。
1/15にも書いたように、政府・政府機関(ソブリン)と民間に対する格付、正確には勝手格付か依頼格付かを区分しなければならない。金融危機に格付が関係するのはソブリンの問題が大部分である。2008年のGMのような事例もあろうが、この問題もアメリカ政府の対応と密接に関係していた。そして、ソブリンの格付が原則として勝手格付であることを考えると、金融危機との関係は「格付を絶対的だと信じる者が悪い」か「ソブリンに対する信頼を失墜させた政府等の政策が悪い」と責められるべきであり、格付機関を真犯人扱いするのは本末転倒である。
一方、格付の上方バイアスというかインセンティブは常に働いているだろう。実生活に立ち戻って考えると、面と向かって相手の欠点を指摘するのは難易度が高く、それよりは美辞麗句を適当に並べて引き下がりたくなる。相手をどう評価するかが生活(利益)に直結し、さらに格付機関が上場していて、格付収入が日々の株価を動かすとなればなおさらである。格付に対する規制は、この上方バイアスを予防するものとして存在する。
客観的に考えると、ミシュランでも信用格付けでも、誰かが付与した点数に基づいて行動するのは、それを使う側の時間や金銭の節約となる。ここに格付の意義がある。しかし、格付が絶対に正しいものではないし、間違いの多い格付が時間の経過とともに市場から排除されていくのも事実である。
いずれにせよ、格付は相対的なものであり、間違い含みであることを承知して使わないといけない。とくに、格付対象の動きが激しい場合に対応が難しいのは、一般投資家にとってはもちろん、神の子でない格付機関にとっても同様である。
2012/04/29