先日、財務省での会合を終えての帰りしな、予約していた新幹線まで時間があったので、歩いて東京駅に出た。5月に日比谷公園を通るのが気持ち良いこともあった。
日比谷に最初に来たのは昭和45年、1970年の2月だった。滑り止めのため、東京の私立大学を受験するのが目的だった。大正海上に勤務していた父親の知人を頼った。排気ガスのせいだろうか、薄汚れたビルが、しかし背の高さを揃えて整然と並んでいた。ビルが面している日比谷通りは広く、その反対側は皇居の堀であり、大阪にはない光景だったのを記憶している。父親の知人は皇居などを案内してくれた。
次に来たのは昭和52年、1977年の3月末、東京に転勤したためだった。大阪から東京駅に着き、1駅だからというので有楽町まで歩いた。日本生命の東京総局が日生劇場のビルにあった。有楽町まで歩いて感じたのは、最初の日比谷のイメージとは異なり、「場末やん」ということだった。線路沿いに歩いたのがいけなかったのか。昼時になったので、ガード下に見つけた「王様のカレー」でカツカレーを食べた。東宝関係の映画館や劇場に混じって日本生命のビルがあった。
そして先日。当時のビルはほとんど建て変わっている。日本生命の隣にあった三井銀行の本店も取り壊されている。その隣りの古いビル、三信ビルはかなり前に取り壊され、空き地のままだったが、先日は幕が張られていたから、いよいよ新しいビルが建つのか。その向かいの東京銀行のビルは、とうの昔に高級ホテルのビルに変わっている。いちいち何がどうなったか思い出すより、何が残っているのか勘定したほうが早いくらいだし、大正海上、三井銀行、東京銀行の名前さえ、もはやない。
そう思いながら、日比谷通りの1本東側の通を歩いた。この通りは高級店が並んでいて、しかも静かなので好きなのだが、ほとんどのビルが新しく、そこに入っている店舗は入れ替わりが激しい。
40年前はもちろん、35年前の日比谷界隈を見つけることはもはや不可能だ。同時に、「日本は豊かになったし、今でも豊かだ」と思う。5時前だったが、高級店で買い物をしている婦人の姿もあった。こんな豊かな社会にいちいち不平不満を言うのはどうかと思う一方で、東京と地方の格差が拡大しているのも事実なのだろうと思う。東京だけを見て日本経済を語ってはいけない。また、地方に住んだまま日本経済を批判してもいけない。
2012/05/19