「平均的な日本株式は投資対象となりうるか」と題して、日本の株式市場のことを論じた。詳しくは「証券アナリスジャーナル」2012年6月号を読んでほしい。結論をまとめておくと、次のとおり。
株価純資産倍率(「株式時価総額/貸借対照表における純資産」、すなわちPBR)の1倍割れについて、「そのような株式は割安であり、買い得である」と評されることが多い。今日の日経新聞にも以下と同じ趣旨の記述があった。本当だろうか。
「PBRが1倍を割れる状態は、事業に投下した資産が、その資産を取得するのに必要なコスト未満の利益しかもたらさない」ことを多くの場合、意味しているようだ。少なくも優れた投資家がそのように感じている。
非常にわかりやすい例を指摘しておく。「銀行から資金を借り入れ、その資金を借入利子率未満の利益しかもたらさない事業に投資した場合」である。このような事業に100億円を投下したとしても、その事業に100億円の値打ちがないは当然である。もっと投下資本を値切らないと、赤字分だけ100億円という価値が減じてしまう。
借入だけでなく、株式での資金調達を加えたとしても基本は同じである。事業の利益率が株主の期待から大きく外れれば(大いなる失望を呼べば)、当初に投じた100億円は、それ未満(すなわち100億円未満)の値打ちしかなく、PBRは1倍を割れる。日本企業はこの状態にあるのに等しい。
ということで、「PBRの1倍割れは買い」との判断は表面的な数値に基づくものでしかない。もう少し本質を考え、議論しないといけない。その本質の議論が日本に欠けている。
礼儀という形式を重んじ、やがて「◯◯道」と称され、その道を絶対のものだと思う日本特有の現象の1つだろうか。「過去には正しく合理的だったかもしれないが、今では時代に合わず、アホなことやん」と思う。そういえば、同じアジアの一角にも、また世界全体を見渡しても似たような思想がありそうだが、その論評は今回のブログのテーマではない。
2012/06/02