今日の夕食はクサヤだった。週末、東京からの帰りに予約していた新幹線まで少し時間があったので、百貨店に寄って買った。震災直後に書いたと思うが、わが家はクサヤが大好きだ。
当然、クサヤなんて関西で売っていない(少なくとも昔は)。初めて食べたのは35年ほど前、通産省に出向していた時である。当時は5時過ぎから飲み会だった。良き時代だった。その出向時に知り合い、山によく一緒した人から(9年前に亡くなった、ご冥福を)、「これ食べられる」と言われて口にしたのがクサヤだった。「焼くと他の課から苦情が来るのだけど」との説明付きだった。確かに、臭いはなかなかのものだった。しかし、口にすると美味い。美味そうに食べてしまったので、目論見が外れたのか、その後はあまり勧めてもらえなかったが。
で、今日のクサヤだが、昔ほどの刺激臭がない。焼いても、あまり臭わない。これらの特徴は少し以前からだが。クサヤもそうだし、焼酎や泡盛もそうだが、ビールもそうか、個性が消えたように思う。確かに、これも35年前、最初に仕えた課長から飲ませてもらった泡盛は強烈に美味かった。そんな個性が世の中から消えたのでは、面白くも何ともない。
そう、日本から個性が消えたのは、世の中から活力が消えたことと関係しているのかもしれない。とっつき、受け入れやすいものばかりでどうするのか。何にも良いアイデアが浮かばないのではないのだろうか。
2012/06/24